低温火傷

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 何でもない、ただの一日。
 士官学校寮、談話室。部屋の隅に置かれたラジオから、ありふれた流行歌が流れていた。
 風邪はもうよくなったんですか、と聞かれて、ああ、と曖昧な返事を、シンタローはした。
 お前らは、と聞き返してみると、ええ、俺も手酷いヤツに罹ったんですが、と目の前の同級生は答える。
 そして背後を親指で指し示しながら、いやあ、でも同室のこいつはケロっとしてて。風邪ウイルスにも好みがあるんですかね、等と言うから。
 シンタローが、へえ、とそちらの同級生に目をやった瞬間、視線の先で。突然その少年が、目の端から、ぽろりと涙を零した。
「……え?」
 自分が呆気に取られている間に、わあっと談話室が沸く。
『泣いた!』『見ろよ!』『あいつ泣いてるぜ!』『シンタローさんの前で』『シンタローさんが泣かせた!』
 やんややんやの声の中、シンタローは慌てて椅子から立ち上がる。
「え、俺、泣かせてないって! 何でだよっ! 何もしてねーよ!」
 しかし周囲の明るい笑い声はやまない。むしろシンタローが焦る程に、その輪は大きくなっていく。
「何だよ、お前ら! 違うってば! 俺は泣かせてないって!」



 ちょっとした時間を、シンタローは同級生たちと過ごす。他愛のない会話、遊び、年頃の少年たちの触れ合う心。
 シンタローは、自然にそんな輪の中心にいた。最近では下級生である後輩たちも、その輪を憧憬を込めて見守っていることが多くなった。
 ……結局、寮を抜け出した日は、風邪をひいて一時帰宅していたことにしたシンタローだったのだが、偶然というべきか、季節の変わり目だったのか、その後本当に士官学校では風邪が流行り出した。
 シンタローのごく周囲でも、初めにミヤギ、そしてそれを看病していたトットリ、次に満を持してコージと、順繰りに風邪が巡っていった。
 その度に、妙に嬉しげに、保険医の高松が寮室を回ったものである。寮生は風邪よりもその高松の巡回を恐れていたということは、言うまでもない。
 二年に進級した時の健康診断と合わせて、それは語り草だった。
「ク……クク……風邪ウイルスはん、今度はわてを通り過ぎて行きはりなさる……折角、お友達になれるとこやったのに……気まぐれな御方や……」
「相変わらず、協調性ないヤツだっちゃ!」
 ボッ!
「おぉっ! また正直な発言でトットリが燃やされとるべー!」
「よっしゃあ! 任しとけぇ! バケツは準備万端、用意しとるけんのぅ!」
「水は? コージ……」



 二年生に上がってから。
 シンタローの周囲の面子に、約一名が増えた。約、というのは、いるのかいないのかが、わからないことがあるからだ。
「だいたいお前、なんで留年してねーんだよ」
 アラシヤマに、そう、シンタローは聞いてみたことがある。
「クク……総帥が何やかんや言わはって、わての才能を見込まれましてなァ……テストだけはちゃんとこっそり受けとりましてな。ガンマ団エリートコースまっしぐらですわ……」
「ほう」
「光り苔のトガワくんとわてのマンツーマン授業……それはもう、こうこうとトガワくんは、わての手元を照らしてくれはりましてなあ……フフフ……これは、のろけどす……」」
「腹話術勉強法、恐るべしだな」
 どうやら、本人にとっては幸せな牢生活だったらしい。ただ、暗がりの中にいたので、しばらく日光が怖くて仕方なかったとか。
 色んなヤツがいるんだな、とシンタローは最近では済ませてしまう。
 割り切り方の思考を持たないと、ここ士官学校では生活してはいけないのだ。



「どーも、気に入らんのぉ……」
 昼食後の食堂で、楊枝で歯をシーシーやりながら、コージが言う。
 今日は休日である。彼は午前中は、裏庭で例の錦鯉の手入れをしていたらしい。
 定期的にウロコを磨いてやらんとなァ、あの泳ぐ宝石は曇ってしまうんじゃ! とか何とか。
「なーにが気に入らないんだべ、コージ? ……トットリィ〜! モチ、もう焼けたべかぁ〜」
「もう少しだっちゃよ、ミヤギくん! こんがり焼け目、ついてきたっちゃ!」
 食後のデザートに、いつもミヤギは嬉しげに餅を食べる。
 最近では、手先の器用なトットリが、その焼き係に回っているようだった。窓の外、庭先で、電気コンロと焼き網を使っているその姿。
「はぁ〜。ベストフレンドって便利なモンだべ〜」
「お前ら……いや、俺は何も言わんが……」
 シンタローはコーヒーを一口啜った。テーブルの斜め前に座るコージを見る。
 珍しく不機嫌そうな顔で、彼はもう一度『気に入らん』と呟いた後、近くに座る同級生集団に向けて顎をしゃくった。
 先程の、ぽろりと涙を流した少年が、なんやかやと、からかわれているのがシンタローの目に入る。
 友人同士のことだから、口を出すことではないと思うが、実は自分も気にはしていた。
「男が泣くっちゅーコトは、別に、なーんも恥ずかしいコトじゃあないけんのう……」
 コージがまた言う。



 談話室の騒動の後のこと。
 シンタローがよくよく訳を聞いてみると、その少年が泣いたのは、どうやらラジオから流れる歌が原因だったらしい。
 なんだか、あの歌を聞いていたら、ちょっと昔を思い出しちゃって。そう、彼は言った。
 すみません。シンタローさんのせいじゃ、ありませんから。
 謝られたシンタローは、ふーん、と言って引き下がった。しかし、そのことが広まり、またからかいの種になっているのだった。
 その流行歌は、片思いの気持ちを歌ったものであったからだ。
 片恋の歌。
 少年は、親を思い出しただけだと言い張っているのだが、男ばかりで、浮いた噂のない士官学校で、その話題は格好の暇つぶしになっているようだった。
 少年は容姿も十人並み、成績も中の中、まさに平凡極まりない存在であったため、余計に意外性があったからだろうか。
 ただ、シンタローはシンタローで、彼については気になることがあった。
 その泣いた少年に、自分は士官学校入学当初からずっと、ぎくしゃくしたものを感じ続けていたからである。



 入学当初は、自分が擦れ違いざまに軽く声をかけるだけでも、彼は萎縮しているようだった。
 『おいおい、喋っちゃったよ』等と遠巻きに友人と言い合うだけで、決して自分には近づいては来なかった。
 自分が総帥の息子だということに遠慮しているだけだろうかとも思ったが、それは他の同級生たちも同じであるはずだ。
 その遠慮には通常、憧れといった気持ちも混じっていたりするものなので、シンタローは気さくに自分から話しかけ、それをプラスに転化させてやればよかった。
 だが、この少年だけは違った。
 表面上は普通に付き合っていても、何処か根本の部分で、自分には打ち解けてくれない。
 どんなに声をかけても、何くれとなく手伝ってやったりしても、どこか、固い。心を許してはくれない。
 態度には全く表れないので、周囲は気付かないだろうが、シンタローは敏感な子供だったから、肌でそれを感じてしまう。
 しかし同時に、自分が気にしすぎなのかもしれないとも思う。
 実は些細な事が、気になって仕方ない。彼は、そんな自分の性格が、嫌いだった。



 そうこうする間に、食堂の、当の少年を笑う声は大きくなっていく。
 それが度を過ぎたものに思えたので、シンタローは席から立ち上がってしまった。振り向き、集団を見据えて言う。
「つーか、オマエらさ、笑いすぎだろ、ソレ」
 そうじゃ、言ったれ、シンタロー! と、側でコージが足を掻いている。
 一瞬、場が静まり返り、すぐに『すいません』と。
 そそくさと彼らは、食堂を出て行ってしまう。そして、笑われていた少年も、シンタローを何処かしらっとした目で見つめ、彼らと一緒に去って行った。
 シンタローは、どすんと音を立てて、椅子に座り直す。
 あーあ、と溜息をつく。こうなるから、あまり口出ししたくなかったのだ。
 すると、コージがニカッと口角を上げて、自分に笑いかけてきた。
「……何だよコージ。だいたい、お前が先に気付いたんなら、言えば良かったじゃんかよ」
「いやあ? カッコいい役目は、ぬしに譲ってやろォと思ってのォ」



「男がなァ、泣くのには、深〜いワケがあるもんじゃあ。そりゃあ、聞いたらイカンもんじゃけんのう。それにアイツは普段は泣かんヤツじゃ。むしろ肝の据わったヤツじゃと、ワシゃぁ、見とったがのォ」
 餅を焼き終え、食べ終えたトットリとミヤギに向かって、コージが持論を披露している。
 まあ、コージはいいヤツなんだけどな、とシンタローはぬるくなったコーヒーを飲み干し、しかめっ面をした。
 目の前のデカい図体をした男は、相変わらずヘラヘラしていたが、もしかすると、あの少年と、自分の何故だかわからないが微妙な間柄を、察していたのかもしれないと、シンタローは思った。
 漢気だとか、情だとか。周囲に比べて年長者だということもあるが、コージには、そういう所があった。
 シンタローとしては、時々、自分が子供扱いされているように感じて、少し気に入らないことがある。
 そんな考えに、耽っていると、
「というワケでのォ」
 突然、ばんっとコージがテーブルを叩く。
「決まりじゃあ! 今日の夜は肝試し大会の決行じゃけんのう!」
「だべ!」
「だっちゃ!」
「……そうどすか」
「あああ? どーしていきなりそんな結論になるんだよっ! って、アラシヤマ! 今まで何処にいた!」
 このシンタローには付いていけない論理の飛躍も、コージを初めとする同級生たちの持ち味だった。



 自分たち二年生の有志が中心になり、脅かし役になって、例の幽霊の噂のある校舎裏の森で肝試しをやろうという。
 どうしてそんな話になったのかと、よくよく聞けば、男の価値は日常ではなく、いざという時にどういう態度を取るかで決まる、ということになったらしい。
 まあその意見には賛成してもいいが、それがどうして肝試しに……。
 お祭り事が大好きなヤツらだから、何かと賑やかな方面に走りたがるのはわかる。
 まったくガキっぽいんだからなぁ。
 そう思いながら、周囲のウキウキした雰囲気に触れ、自分も楽しくなってくる。何だかんだで、そういうのは嫌いではないシンタローである。
 よっしゃ、泣いたアイツを笑うたヤツらや、生意気な下級生たちを、ワシらで脅かして泣かせてやるかぁ!
 だべ! だっちゃ! ……どす……。
 皆で何か一つのことをする、という楽しさを、シンタローは士官学校で知るようになっていた。



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 どうせやるなら、礼拝堂を使いたかった。慰霊碑と合わせた、幽霊の噂の現場に立つ建物である。
 しかし寮監に問い合わせた所、不謹慎だと物凄い剣幕で叱られたらしい。
 礼拝堂は一族の管轄で、勝手に学生が中に立ち入っていいものではないとのこと。
 その話を聞いた時、シンタローが思い出したのが、以前にマジックが手にしていた礼拝堂の鍵のことだった。
 あの、幽霊を探しに行く等とふざけていた時に、彼がカードで電子錠を開けていたのを、覚えている。
 そうして、肝試しの準備においてのシンタローの役目は決まったのだった。



 夕暮れ時だった。
 オークの木目が美しい扉を開き、シンタローが理事長室に入ると、大窓が開けっ放しになっていて、白く長いカーテンが斜光に揺らめいていた。
 部屋の主の姿はない。今日はここにいるはずなのにと思う。
 ……バルコニーに出てるのか?
 そう思って、シンタローは部屋の柔らかい絨毯に足を踏み出し、大窓に近付いて、立ち止まった。小さく息を呑んだ。
 赤い陽に照らされて佇むマジックは、自分の知っている人とは違う人間に見えたからだ。
 彼は、白い格子に手を置いて、沈む赤い光を静かに見つめていた。淡い光の粉が彼の輪郭を包み、舞っていた。
 遠くから、風に乗ってあの流行歌が、微かに聞こえた。
「……ああ、シンちゃん」
 マジックが振り返る。逆光に縁取られた顔のまま、嬉しそうに、立ち尽くす自分を見て微笑んだ。



「今ね、パパね、シンちゃんに会いたいなって、思ったんだよ。そしたら本当に来てくれたよ! びっくりした!」
「あっそ」
 シンタローは自分もバルコニーに出て、彼の隣に歩み寄ったが、何となく話を早く終わらせたくて、ぶっきらぼうに用件を切り出す。
 肝試しというのが、いかにも子供じみたもののように思えて、恥ずかしくなったのだ。心地よい穏やかな風が、頬をなぶっていく。
「あのさ、みんなが……ちょっとさ、」
「うん」
「まあ、なんてーか……洒落みたいなモンなんだけどよ、肝試し、するってことになって、だからさ、」
「うん」
 この人は、自分の話す様子が好きなのだという。頷きながら、ひどく嬉しそうな顔をしている。シンタローを見つめている。
 勝手にしろ、と思うが、そのマジックの視線を意識する度、シンタローは身の内からも別の視線を感じてしまう。つい、自分で自分自身を冷静に観察してしまうのだ。
 自分の何処がいいのだろうかと、何処が彼に好かれているのだろうかと、自分の一挙手一投足を他人のような目で見つめてしまう。
 でも、いつも、よくわからなかった。



 礼拝堂の鍵を貸してくれよ、今みんな、庭とかで準備しててさ、後はそれだけなんだ、と言うと。マジックは自分に背を向け、再び赤く染まった空を見つめた。
 そして、『そうか、だから今日はこんなに、この曲が聞こえるんだね』とだけ呟いた。
 この理事長室から、寮の裏庭まで、さして距離は離れてはいない。風向きによっては、窓を開ければ音が聞こえてくるらしい。
 そう言えば、確かラジオか何かを、同級生たちが庭に持ち出していた。
「え、この曲って。知ってんの?」
「というより、今、これが流行っているのかい。じゃあカヴァーだね。昔の焼き直しだろう」
 シンタローは、マジックが腕を掛けている手摺に指を伸ばして、小さく擦った。すべる感触と、きゅっという音がする。
「へえ……じゃあ昔の曲だったんだ」
「確か、サービスがお前と同学年だった頃に、流行ったんじゃなかったかな……ラジオから流れてた覚えがあるよ」
「え! アンタ、ラジオなんか聞くの」
 これは意外だった。そんな姿、自分は見たことがない。
 クラシックを聞くならまだしも、こんな歌が流れるような周波数にラジオを合わせている姿は、似合わなすぎて想像できない。
「……まあ……そりゃパパだって……自分で聞かなくても、寮とかにラジオ、あるだろう。たまたま行った時とかに、そりゃついてることもあるでしょ」
 そう言って、まだマジックは空を見つめている。その横顔を見ながら、シンタローは考えた。
 ……もしかして、こいつ。
 サービスおじさんの士官学校時代にも、寮部屋にお宅訪問してたんだろうか。目下には変に過保護な時があるから、ありえる。
 呆れた。迷惑な兄だよ。
 可哀想なサービスおじさん。



 その時、軽いノックの音がして、部屋に誰かが入ってきたようだ。
 バルコニーからシンタローが覗き見ると、自分が見たことのない、明るい髪と綺麗な顔をした少年がそこにいた。
 資料らしい分厚いファイルをデスクに置くと、一礼して、すぐに出て行った。真新しい軍服と、やけにしゃちほこばった仕草が、シンタローの目を引く。
 何となく、気に入らないなと感じた。
 聞いてみる。
「誰だよ、あのガキんちょ」
「見習いの軍属。今は士官学校の一年生だけれど、適性見ておこうと思って、たまに使ってる。ああ、お前は知らないかな、前にいた私付きの副官の息子だよ」
 そして、マジックは重要なニュースを口にした。
「……今度、またサービスが来るんだって」
「ええええっっ!!! ホントっ!!!」
 ほとんど条件反射のような、そんな自分の反応に、これまた条件反射なのか、相手は深い溜息をついている。
「あーあ。お前は相変わらずサービスばっかり……何でなのかなあって、私はいつも思うよ」
 彼が腕をかけた手摺が、きしりと音を立てた。
「そりゃサービスおじさんは、超カッコいいからだろ。自然の摂理だっての」
「いっつも、いっつもだよ! もうね、パパったらね、お前に冷たくされる度にね、」
「はーいはいはい」
 うんざりする繰言を聞き流しながら、シンタローは大きく伸びをした。
 サービスおじさんが来たら、また話を聞いて貰おう。
 それだけでいい気分になって、後ろ頭で手を組み、理事長室の中に目をやる。
 デスクの上には、あの白い花の絵がある。それを見ると、自分はいつも日本を思い出す。幼い頃から、ずっと、毎日見てきた絵だったから。
 自然にシンタローの顔は綻んだ。



「あ! 可愛い顔!」
「は?」
 その瞬間、唇に柔らかい感触がして、自分が身構えた時には、もう背を屈めた相手の唇が、通り過ぎて行った後だった。
 大分遅れて、かぁっと自分の顔に熱が逆上せる。
 ま、また! 勝手にこんなコトしやがって!
 が―――っ!!!
「だってシンちゃん、前もってキスさせてって言ったら、絶対嫌がるじゃない」
 いくらシンタローが怒っても怒っても、マジックは飄々としている。
「人が嫌がることしたらダメなの! 人間関係の基本!」
「だからそれは、シンちゃんが嫌がらなければ問題解決じゃない」
「屁理屈禁止! ていうか、アンタ何でこんなのだけは異常に素早いんだよ! グンマの日記と一緒かよ!」
「いやだってもうパパ、シンちゃんとチュウすることに命賭けてるから。可愛い顔は逃すまいと必死だから」
「そんな賭けも禁止! だから俺はもうガキじゃないっての! もうこういうの禁止!」
「あーあ、禁止ばっかり。いいじゃない。パパはね、好きな人だけとキスしたいんだよ! だからお前としたいの! それとも何? シンちゃんは他の人とキスしたいの? ひどい! パパは悲しいよ!」
「あああ? 何言い出すんだよ! もー勘弁してくれよ! 一人でロマンチック街道爆走してろよ! だから、さっさと鍵くれってば!」
 シンタローは地団太を踏んでみたのだが。しかし、こうなってしまうとマジックはしつこい。本気みたいな顔で、聞いてくる。



「まさか……サービスを……愛してるの……?」
「バ、バ、バカッ! ンな恥ずかしいコトよく言えるな!」
「恥ずかしいっていうのは、言うのが恥ずかしいってことで、本当は愛してるってこと? ねえ、どっち? 教えてよ! パパは真剣なんだよっ!」
「知るか! 真剣でも竹刀でも知るかっての!」
「シンちゃん、真面目に答えてってば! じゃあこれは? パパとサービス、どっちの方が好き? 愛してる?」
「まった! アンタはそんなコトばっか!」
「答えてくれなきゃ、鍵あげないよっ!」
「職権乱用すんな!」
「言ってよ! 言ってよ! どっちを愛してるのか、言ってよ!」
「あーもう! いー加減にしろよ、アンタ! 駄々こねるな!」
「言ってよ! 言ってよ!」
 しつこい。
 特に今日は当社比何倍ってくらいに、やたらしつこい。
 どうしてこいつは、こうなんだ。うんざりした自分は、とうとう言ってしまった。
「わかったって! 言やいーんだろ! 言ってやりますよ! 俺は! 俺は、」
 正面切って、相手の顔を見据える。



「愛しています、サービスおじさんを! アンタより! はい、鍵くれ、鍵」
 言った瞬間、自分が、また、かあっと赤面してしまうのがわかった。
 サービスのことは本当に好きだし尊敬していたが、そういう言葉を使うのは、どうも性に合わない。
 それに、また面倒臭いことになると思った。
 この類のマジックの質問に、自分がこういう風に答えると、一層話が長くなるのがお決まりのパターンだった。昔からのことだ。
 ひどいよ! シンちゃん! パパ、こんなにシンちゃんのこと好きなのに!
 サービスよりも絶対にシンちゃん自身のコトが好きなのに! 愛してるのに! だとか何とか。
 いつも大騒ぎだ。
 今回も、シンタローは自分の短気を後悔した。
 だが、
「はい、鍵」
 あっさりと自分の手の平に、固いカードの感触。目的の鍵が手渡されていた。驚いて見上げると、マジックは表情のない顔をしていた。
「……?」
「どうして驚いてるの? ちゃんと答えてくれたから、鍵、あげたんだよ」
 そう言うと、彼は後ろを向く。バルコニーから部屋に入る。椅子に座る。さっさと、先程届いたばかりのファイルを手に取り、それを開いて読み始める。
 ぽつんと残された自分は、拍子抜けした。
「……あ、あのさ」
 声をかけてみる。
「何? 目的の鍵は手に入ったんだから、お友達の所にお戻り。それは万能キーになってるから、なくさないようにね」
「……っ」
 ちょっとだけ、悪いことをしたかな、とシンタローは思ったが。
 しかし、ぐっと拳を握り締めた。突き上げてくる、それを上回る、この胸のムカムカ。
 ……ナンだ、こいつ。
 なんだ、こいつ! 自分が勝手に言えとか強制してきたクセに!
 拗ねてやがる! 拗ねてやがるよ、こいつ!



「ちょっとアンタ、こっち向けよ!」
「どうして」
「どうしてだっていいだろ! 俺が向けって言ったら、顔向けてくれたっていいじゃんかよ!」
 腹が立ったシンタローは、自分も理事長室に入り、書類の文字を目で追っているマジックの前に立ちはだかった。
「やだ」
「こっち向けってば!」
「やだって……自分は振り向いてはくれない癖に……我儘だね」
「いいから向けって!」
「……お前はどうせ、最後は私が振り向くと確信して、そう言ってるんだろう? そういうのって、時々……嫌になるよ。そしてそれはその通りだから、余計に嫌になる……」
 そしてマジックは椅子に座ったまま、憮然とした自分の方を振り向いた。



 その顔には、やはり表情はなかった。自分をじっと見つめてくる。そして言う。
「お前、身長また伸びたね」
「……そりゃ、成長期だし」
「今、15。すぐに……16。17。時間は早いよね……」
 一瞬、相手の雰囲気が和んだような感じがしたので、シンタローは、少し笑った。
 成長したとこの人に言われることは、嬉しいことだった。
「そんな顔されると、」
 すると、静かにマジックは椅子から立ち上がった。
 自分の肩のすぐ側に身を置く。途端にシンタローは見下ろされる側に回ってしまう。ひどく近い距離。
「私はお前の顔が好きだよ。好きだけれど……」
 頬に冷たい手が当てられる感触。軽く上を向かされた。
「そんな顔をされると、今この瞬間、私の目の前に誰がいるのかが……わからなくなる……それに……」
 至近距離で、目が合う。
「私のシンタローが……小さい頃から一緒にいたシンタローが、何処かに行って、いなくなってしまったような、そんな気分にもなる……」
 シンタローは、よくわからないが、そんなおかしな表情を、自分はしたのかと思った。再度ムッとする。
 きっと、要はまた、小さい頃はあんなに可愛かったのに! ってお決まりのやつだ。そうに決まってる。
 いつもアンタは、そればっか。
「ああ? 俺は俺だっての! 今の俺が俺なの! またどうしょうもないコトばっか言って……え?」



 とん、と自分の背中が音を立てる。いつの間にか、身体が背後の壁に押し付けられていた。
 いくら背が伸びたと言っても、自分の頭は、まだ彼の肩にも届かない。自分を見下ろす、背の高い人。
「な、なに……?」
 自分の問いに、返事はない。突然、強い力で抱き締められる。
 いつもの匂いがした。
 反射的に振り払おうとして、シンタローはその手を止めた。肌がぞくぞくとした。
 これは――
 自分を戸惑わせる、あの雰囲気。何者をも寄せ付けない、近づけない、凍てついた空気。
 拒否されている。腕の中にいるのに、俺はこの人に拒否されている。
 こんな瞬間、俺の身体は、動かなくなる。



 低音に響く声。
「……会いたかった。会いたくなかった……」
 誰に。何に。俺? 俺のことだよな?
「……が重なる度に……同じ行動を取ったり取らなかったりしてしまう、自分が怖い……お前がここにいることは私の幸運だけれど、不運でもある……全ては裏返し、繰り返して混じり合う……私は全てを手に入れることができるはずなのに」
 シンタローは目だけを動かして、やっとのことで彼を見上げる。
 男の軍服の襟元から覗く鎖骨と首筋のラインを辿って、薄い唇、鼻筋、目へ。
 それは自分の見慣れた角度。シンタローの背が伸びる度に、その角度は段々浅くなってきたのだった。
 しかし相変わらず見上げるだけで、今は言葉を発することもできずに、自分は息を呑んだままだ。
「どうして……お前だけは手に入れることができない……」
 窓から漏れる赤い斜光は、薄闇色を帯び始めていた。遠くかすかに音楽が聞こえている。
「世界だって、何だって……私のものは……みんなあげるのに……」
 シンタローは、この台詞を彼に囁かれる度に、無力感を味わう。
 何も答えを返すことのできない、自分の虚無。相手の虚無。
 変わらず耳元に、高い位置から落ちて来る言葉。
「でも……私は……もう……」
 冷たい青い瞳。その目は自分を見ているはずなのに、本当は何を見ているのだろうと、シンタローは固くなった心で感じていた。
 自分の背中に回った、大きな手の感触が痛い。体の芯がツンとし、背筋が震える。唇をきつく噛む。
 悔しい。
 また、あの、騙し絵の世界が。壁が、俺の前に立ち塞がる。
 滑るように自分を通り過ぎていく言葉。通り過ぎていくということは消えていくということだった。だが、一体、何が消えていくというのだろう?
 夕陽がマジックの影を、自分に落としている。
 瞳ばかりか、この人は、自分を抱き締める胸だって。
 冷たい。
 すがりついてくるように、相手の腕に力が篭る。相手の金髪が、自分の頬にかかる。シンタローは、思わず、目を瞑った。
「……私はもう……あんな思いをするのは、嫌だよ……しかも今度は、お前で……」



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「ムッカつく! 何だよ、あいつ!」
「また、おじさまとケンカしたのぉ、シンちゃん」
 グンマの白いカーディガンと金髪が、淡く輝いていた。
 今、自分の隣にいるのはグンマだ。二人は寮の裏庭、芝生の上に、膝小僧を抱えて座っている。
 理事長室から寮に戻る途中、シンタローは研究所に寄った。賑やかなことが大好きなグンマだったから、知らせないのは可哀想だと思ったのだ。
 ただ、グンマの嫌いなお化けが関わる肝試しだから、どうかと思ったのだが。グンマは喜んで、自分に付いて来た。
 彼には彼なりに、研究所を離れたい理由も少しあったようだ。高松が、何かの実験にかかりきりになってしまい、相手にして貰えないのだそうだ。



 甘い草の香りが風に揺れていて、庭先のベンチに置かれたラジオが、がたぴし音を立てている。
 細い指が、シンタローの膨らました頬を、つついてくる。
「えへへー、シンちゃん、ふくれっ面〜」
「んもう。やめろって。お前だって、さっきからふくれっ面じゃんよ」
 グンマの手は、意外に傷だらけなのだ。
 以前聞いた時、ロボットの開発やメンテナンスって、結構危険な作業なんだよぉ、と微笑まれた記憶がある。
 今見るその手は、所々で、さらに赤く腫れていた。どうしたんだ、と聞くと、火傷したのだという。
「低温火傷なの」
 機械を扱う時には必ず熱が出るが、火花が飛び散る程の高温なら、気をつけるからそう火傷はしない。
 しかし、危ないのは低温で持続する熱なのだという。油断して、長時間肌に触れていると、高温による火傷よりも酷い重傷を負ってしまうことになる。
 知らない間に、表皮から神経のずっと深くまで、焼け切れてしまってたりすることもあるんだって、と。
 グンマは言った。



 ぼく、ぼんやりしちゃってて、よく低温火傷しちゃうんだぁ。
 シンタローは、そんなグンマの顔を見、もう一度手を見る。
 この従兄弟は、一見フワフワしていて、外には余り出さないけれど。グンマは、いつも一生懸命に頑張っているのだ。この手は、そういう手なのだ。
「いたっ! シンちゃん、そこ痛いよっ!」
「へへ。お前、生命線長いよな。きっと長生きするぜ。いつかドラボットのひみつ道具も作れるかもな! 時空を越えるタイムマシンとかさ!」
 そうやって、しばらくじゃれていたが。
 急にグンマが真顔になって向き直る。ふわふわの金髪が、風に揺れている。
「シンちゃん……お友達のとこ、行かなくっていいの? ぼく、いいよ、ここに一人でいるから」
 その従兄弟の細い肩が、シンタローには弱々しく見えて。
「ああ? いーよ。だってあいつら構うと、ややこしくってさ。それに始終、寮で一緒にいるんだぜ? 今はお前とここに一緒にいた方が気が楽でいい」
「……そうなの?」
 自分がそう言い切ると、グンマは複雑な表情をしたが、すぐにその顔はいつもの笑顔に変わる。
「えへ……ありがと!」
 二人の視線の先では、その同級生たちが、肝試しの準備を始めている。わらわらと森に向かっているようだ。
 礼拝堂の鍵を取りに行っている間に、シンタローは、肝試しのゴール地点である礼拝堂の受け持ちに、勝手に回されてしまっていた。
 やっぱり、僕たちにはああいう場所って、気後れするんだわいや! だから、頼むっちゃ、シンタローさん! 最後をキメるのはやっぱ、シンタローさんしかいないっちゃ!
 そう、はっきりモノを言いつつも、おだてるのが上手いトットリに代表して頼まれて。
 ゴールで渡す、札の束を手渡された。森の突破者に、突破の証として、自分はこれを渡せばいいらしい。
 まあ……いいんだけどよ。
 さわさわと自分たちの頭上の大木が、幹を微かに揺らした。
 日は暮れ、宵闇が、裏庭と、そこに屯する陽気な寮生たちを包み始めている。



 シンタローは目を細める。
 ――あの後。理事長室で。
 マジックにあっさりと体を離され、戻りなさい、と言われ、そのまま、場の雰囲気に飲まれて大人しく帰ってきた自分であるのだが。
 研究室に寄ってから。肝試しの準備が進んでから。グンマと一緒に、この庭を見渡せる木陰に座ってから。
 じわじわと、怒りが込み上げて来たシンタローである。
 何なんだよ。何なんだよ、アイツ!
 あの場の全てが気に入らない。
 クッソ、よくわかんねーけど! わかんないってコトが、妙にムカつく!
 超イライラする! 腹が立ってしょうがねえ! あー、もう!
 しかし怒っていないと、途端に自分の感情が裏返って、寂しくなってしまうような気もしていて。とにかく、シンタローは腹を立てていようと、思った。
 雰囲気に敏感なグンマに、ふくれっ面だと言われるのも癪なのだが。



「俺、今から肝試しの準備しなきゃあなんないんだけど。お前、本当に一緒に来るか? 怖くねーの?」
 シンタローがそう言って立ち上がると、グンマも急いで立ち上がる。
「う、うん!」
「本当かぁ? いつもと違って、夜だぜ? あの礼拝堂の暗い中で、突破者が来るの、ずっと待ってなきゃいけないんだぞ? 途中で泣き出したって知らねーぞ」
 そう自分は言って、森の方へと歩き出す。
「うん、大丈夫!」
 グンマがパタパタと付いて来る足音。
 えへへ、と従兄弟は隣に来て、ちゃっかり自分の腕を組む。そして、『シンちゃんがいるから、大丈夫』と見上げて笑った。



 森の中には、いつの間にやら、色々な趣向が施されていた。
 シンタローたちは、来るのが遅れたらしい。一番奥の礼拝堂に行くには、どうやら仕掛けを突破していかなければならないようだ。
 ま、あいつらの仕掛けを、俺が最終チェックってワケか。不敵に笑って、シンタローは足を踏み出す。
 まずは、士官学校らしく、定番の罠が二人を襲う。
 実戦訓練って感じかな。
 グンマを庇いながらシンタローがサクサク避けていくと、茂みのそこかしこから『あーあ』とか『シンタローさんだ』とかいう声が聞こえてくる。
 こんな程度じゃまだ甘いぜ。
 彼らに声をかけ、アドバイスをした後、また森の中を行く。



「……?」
 しかし今度は尋常ではない異変に気付いて、二人は身を固くした。
 グンマが自分に飛びついてくる。
「ふ、ふえ〜〜〜んっ! シンちゃん、ヒトダマ〜〜〜!!!」
「お、おい、マジかよ」
 二人の行く道の先に、不気味な炎。
 ぼうっと暗闇の中、火の玉が浮いているように見える。
 赤い炎は揺らめき、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。そしてしばらくして、ふうっと消えた。
「……」
「シンちゃ〜ん、危ないってばぁ!」
 シンタローは、用心しながら足を踏み出す。
 すると茂みの中から、シュッ、シュッと、何かを擦る音がする。



 ボッ。
 また人魂が闇の中に浮かび上がった。
 これは、もしかして。
「おい……」
「シ、シンタローさんっ! 近付いちゃあ、ダメだっちゃわいや! 燃え移るっちゃよ!」
「こんな燃えやすい森の中で何言いやがる」
 茂みの中で、トットリが――何処から入手したのか、お徳用巨大マッチに火をつけ、人魂を演出していたのだった……。
 仔犬のような目をした忍者は、得意気に胸を張っている。
「トットリ忍法、火炎の術だっちゃ」
「……そのデカいマッチ箱はあれか、地方名物とかで土産物屋に売ってる、巨大お菓子と同じ種類のものか」
 脇からグンマが身を乗り出して来る。
「ぼくねえ、あれ、いっぱい制覇したよっ! 特大アポロチョコでしょお、特大ポッキーでしょお、特大きのこの山、特大かっぱえびせん、特大キャラメルコーン……」
「それだけ特大にして、何が嬉しいのか俺には理解できん」
「えー、どぉしてぇ〜。大きいってだけで、ぼく楽しいよぉ!」
「グンマさんは話のわかる人だっちゃ それにこのマッチには、もう一つ秘密があるんだっちゃ!」
 自信満々なトットリ。
「見て驚かないでほしいっちゃ!」
 そう言って、トットリは、箱から巨大マッチを取り出し、シュッと音を立てて擦った。



 ――トットリがマッチを擦ると。
 目の前に、おいしそうな御馳走が現れました。
「わぁ! 目玉焼きがたぁくさんだわいや!」
 何という幸せでしょう。
 しかし、すぐにマッチは燃え尽きてしまいました。手の中に残ったのは、残り屑だけでした。
 トットリはもう一本、マッチを擦りました。
 何という輝きでしょう。
 今度は、目の前に可愛い小動物たちが現れました。
「わぁ! 胸キュンアニマルがたぁくさんだわいや!」
 しかし、すぐにマッチは燃え尽きてしまいました。
 トットリはもう一本、マッチを擦りました。
 これが最後のマッチでした。
 すると、その明るさの中には、ミヤギくんが立っていました。
「トットリィ……いつもこき使って、悪いと思ってるべ……だどもそれは、オラがトットリしか頼る人がいねーからだべ? なにしろオラたちは、ベストフレンドだべなァ!」
「ミヤギくぅん……」
 トットリの目には、涙が浮かんでいました――



「ねぇ、シンちゃーん、トットリくん、あのままにしておいていいのぉ〜?」
「ああ……今はそっとしておいた方がいいだろう。ちょっと疲れが出ちゃったみたいだな……まあ長いベストフレンド人生、そういうこともあるだろう……」
「気苦労多そうだもんねぇ」
「お前にもわかるか? 俺もそう思う」
 惚けているマッチ売りの忍者を後に残して、シンタローとグンマは、森の道を先へ進んだ。



 そして、突然なのである。
 暗闇の中、本当に突然、目の前に井戸がある。側には、柳の木。
 見るからに。
「怪しいよぉ、シンちゃーんっ!」
 自分の腕がグンマの手に、ぎゅうっと握られた。シンタローは地面を踏みしめる。
 クソッ! こんな、いかにも怪しいポイント作りやがって!
 け、結構、逆に怖いじゃねーかよっっ!!
 しかしここを通らないと、礼拝堂に行くことはできない。
 そろそろと、シンタローは足を踏み出す。井戸を注視する。
 ……。
 出るか?
 出てくるか?
 今か?
 ん? いつだ?
 ……。
 自分たち二人が、折角身構えていたのに。
 全く無事に、井戸を通り過ぎてしまった。
「あれぇ、何もなかったねぇ、シンちゃん」
「そーだな……」
 すると。
 ……微かに、声が聞こえてくる。
「だ〜れかぁ〜……たすけてくれろぉ〜」
 シンタローが井戸を覗き込むと。果たして、底からミヤギが助けを呼んでいた。



「いやあ〜、助かったべ、シンタローさん! グンマさん!」
「……」
「こう、井戸の中から『うらめしや〜』しようと思ったンだども、入る前に、出る時のコト考えるの、忘れちまってたべ!」
「……お前らしいナ……」
 グンマと二人がかりで、やっと底から引き上げたミヤギである。
 そんな彼の格好は、よく見るとなかなかにキマっている。
 白装束。額に烏帽子のようなもの。金髪を振り乱し、メイクまでしているのか、青ざめた頬。和装と金髪がミスマッチで、それだけに怖い。
 もともと日本人離れした彫りの深い顔立ちで、トットリに言わせれば『ミヤギくんより美しい人なんて、おらんだっちゃ』なミヤギだけに、ハマる。
 ……容姿はだけは。
「ん〜〜〜、どぉすりゃあいいんだべ? 井戸に入ると出られねェし、だども、入らねェと、井戸が使えないべ……折角、トットリに一生懸命、掘ってもらったんだどもなァ」
 しかしコイツはコイツなりに、容姿で世の中を渡っていけるんだろうなと、シンタローは思った。
 世の中、上手くできてるなぁ……。
 先刻の、マッチ売りの忍者の姿が、哀愁と共にシンタローの目蓋によぎった。
「ミヤギくぅん〜。このおっきい筆をねぇ、ボルトで固定してねぇ、その上にねぇ……」
「おお、グンマさん、その手があっただべか!」
 いつの間にか隣のグンマが、熱心にアドバイスし始めていた。
 たちまちグンマ持参の工具セットにより、井戸の底に巨大筆の先端を突き刺し、その上にミヤギが座って井戸から顔を出すという仕組みができあがった。
「すっごいべ! グンマさん! こいでオラは、ばんばん脅かしまくるべ! だどもお尻がちょっと痛いべ! だどもがんばるべ!」
「うん、ミヤギくん、がんばってねぇ〜」
「お前、その筆、先祖伝来とか言ってなかったか……そんな風に使って先祖に申し訳は……それに言いたかないが、その格好、相当マヌ……」
「え?」
「え?」
 ダブルで無垢な瞳に見つめられて。
「まあいい、行くか、グンマ……」
 そうだった。かつて訓練試合で、可哀想な子選手権を戦ったこの二人に、自分がかなうワケがないのである。
 案外、この天然二人組は、いいコンビなのではないだろうかと、シンタローは感じながら、先を急いだ。



 しばらく行くと、遠くから風に乗って、調子はずれの歌声が聞こえてきた。
「……?」
 先程のミヤギのような、悲しげな助けを求める声ではない。
 もっと。そう、文字にすると……。
 ボエ〜〜〜〜とでも表現するしかない、低い音波。
「シンちゃーん、これって最近、流行ってる曲だよねぇ? さっき裏庭のラジオでも流れてたやつ」
「えええ? って何でお前、わかるんだよっ! 俺にはジャ●アン的殺人ボイスにしか」
 そう言えば、グンマは壮絶な音痴だったけ、とシンタローは耳を塞ぎながら先に進んだのだが、道を行く程に、その音波は大きくなっていく。
 チッ。誰だよ、ソニックブーム出してるヤツは!
 ここに窓ガラスがあったら、絶対割れてるぜ!
 すると、急に木々が開けて、シンタローは、その場所が音の発信地だと知った。巨大な岩を、月明かりが照らしている。
 岩の上に佇むのは……?
 思わず自分の目を疑う。
 ……人魚?



 上半身が裸の人間で。下半身が、魚。
 顔は後ろ向きで、見えないが。
 ――人魚。
 どう目を擦っても、自分にはそう見える。
 あの、歌声で船乗りたちを誘き寄せ、殺してしまうという妖怪。
 セイレーン。
 ……しかしその割には随分、ゴツいようだが……。
「わぁ、人魚って陸にもいるんだぁ〜」
「いや、グンマ、そもそも海にもいるかどうか俺は疑問だが……って、ここはそういう問題じゃなく、」
 自分たちの声に、人魚は歌う(?)のをやめ、こちらを振り向く。
 そして、ニヤリと笑った。月光の中、遠山の金さんのような、ダイナミックな決めポーズ。
「どおじゃあ! ワシのマーメイド姿はぁ! キヌガサくんとワシの合体技、ヒロシマーメイド見参じゃけんのう!!!」
 シンタローは、肝試しとは、本当に肝を試す行事なのだと、痛感した……。



「よっこらしょ」
 コージは、ぱっくりと大口を開けた巨大錦鯉から、その巨体を抜き出した。海水パンツが目に痛い。
 プハー! と。疲れたのか、錦鯉は大きく息をし、パイプで煙草を吸い始めている。
 この鯉……一体、何歳なんだろう……。
 上半身が男なら、どっちかというとマーマンじゃねえの、などと突っ込むことも忘れて、シンタローは思う。この鯉は何を食ってンだろう。この一年で、また一回りデカくなった気が。
 そして値段は……。
「いやあ、キヌガサくんの口は伸縮自在で助かったわい! 話せば長くなるがのぅ、ワシゃぁ、赤ん坊の頃からキヌガサくんの口の中で育ったようなモンでのぉ! 落ち着くんじゃ……」
 何やらコージには複雑な家庭の事情があるらしい。
 長くなりそうなので、シンタローはその話を遮った。
「俺たち、もう行くから」
「ええー、シンちゃん、もっとお話聞こうよぉ〜! 合体変形ロボみたい」
「いや、行くから。わりィな、コージ!」
「そぉかあ! そんじゃあワシも、もっぺんウルトラ・ヒーロー合体しようかのう! キヌガサくん!」
「それを言うなら悪魔合体だろ……じゃあな」
 知らず早足になったが。少し行った所で、シンタローは振り返ると、コージに言った。
「……お前の妖怪……正直、完成度高いぜ……」
 実はコージが一番大物なのではないかと思った、シンタローだった……。



「あれぇ。シンちゃん、そっち行くの〜?」
「ん……」
 道が分岐した所で、シンタローは腕組みをした。
「多分こっちの方が近道なんだよな。足場もいいし。こっち行こうぜ、グンマ」
「うん!」
 さっさと道を曲がり、歩き出す。
「いや、でもやっぱ夜って不気味だよな、この森」
「だよねぇ〜。ホントにお化け出たら、どぉしよぉ〜」
「あ! ホラ! お前の後ろに……」
「やっ! ……んもうシンちゃん! 何もいないじゃない! 脅かさないでよぉ!」
「悪い悪い! でもお前が怖がりなだけなんだぜ」
「いじわる!」
 ははは、うふふ、と去って行く二人。
 勿論、彼らにスルーされた道の先には、
「フ、フフ、フ……ここは人が来なくて、快適どすな……いい気分どす……そうどすか、あんさん、光り苔のトガワくんの親戚なんどすか……よう繁殖なさって結構どすなあ、カビの……お名前、聞いてよろしゅうおすか?」
 アラシヤマが隠れていたのだった。



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 人気のない礼拝堂。
 立ち並ぶ会衆席。壁に廻らされている墓碑銘と絵画。幾多の彫刻の、幾何学的配置。
 その中を進み、シンタローが祭壇に置かれている燭台に火を灯すと、ぼうっと周囲が照らされて、豪華な天井画が浮き上がった。
 ――最後の審判。
 荘厳な図柄を見ていたら、嫌でも肝試しの気分が出てくるシンタローである。
 確かにこりゃ、怖いよな、と肩を竦める。
 自分たちは、祭壇近くのパイプオルガンの下に、やれやれと腰を下ろす。
 礼拝堂に入る時は、流石に怯えていたグンマも、辺りをキョロキョロと見回している。
 やれやれだ。
 ……森の肝試しコースを通り抜けてくるのは、色々な意味で骨が折れた。色々な意味で。
 自分がそうなのだから、他人はもっとだろう。ここまで辿り着くヤツら、少ないかもしれねーな。
 ふと脇を見ると、グンマが用意よく、背負ったリュックから敷物を取り出している。よくそんなに入ったなと感心する程、次々と出される菓子類。
 四次元ポケットかよ……と自分は突っ込もうとしたが。
「はぁい、シンちゃん。あーんして!」
 と言われて、キャンディを逆に自分の口に突っ込まれたので、もう何も言えなくなった。



 おいしいね、甘いね! 等と幸せそうにグンマは菓子を食べている。
 いつも食べているのに、どうしてその度にこんなに幸せになれるのか、全く不思議だとは思うが。そんなグンマの姿を見るのは好きなので、自分はただ頷いてやっていた。
 すると突然、礼拝堂の天井画を見つめながら、一度手にしたクッキーを箱に戻して、従兄弟が妙なことを言い出してくる。
「……シンちゃぁん」
「あんだよ」
「死ぬって、甘いのかなぁ? からいのかなぁ? どっちだと思う〜?」
「はぁ?」
 シンタローはグンマの白い横顔を眺めた。
「甘いんだったら、ぼく、死んでもいいかなって、思うよ」
「そんなモンに味あるかっての。食い意地張りやがって……つーか、死んでもいいなんて言うなよ」
「うん……」
 そう答えたシンタローではあるが。
 先日の慰霊祭と前総帥祈念式に、グンマにも、何か思う所があったのだろうかと、興味深く感じた。
 自分は士官学校生の列に並んでいたため、グンマがどんな様子をしていたかは見てはいない。
 だが、前総帥である祖父の遺影の側に、同じく戦死したグンマの父ルーザーの写真も、小さく添えられていた。
 そう言えば去年、グンマはその写真の内一枚を、マジックに貰っていたのだった。



「あのね、シンちゃん」
 今度は俯いて、従兄弟が言う。白皙の壁にもたれ、敷物の上に足を投げ出している。
「ぼく、たまに変な夢、見るんだぁ……最近、特にそう」
「変な夢?」
「うん……」
「疲れてんじゃねーの? なんか、やたら頑張ってるみたいだからよ」
 自分の言葉に、相手は首を振る。ろうそくの淡い光の中で、その金髪は輪を帯びて見える。
「何だよ、どんな夢なんだよ? そういうのって、話すと楽になるぜ」
 そう言ってやると、グンマはしばらくシンタローの顔を見つめていたが、やげて、ぽつりと、口に出した。
「あのね、ミルクセーキなの」
「はぁ?」
 どんな夢が飛び出すのかと身構えていたシンタローは、拍子抜けした。
 なんだそりゃ。
「ミルクセーキが……青いミルクセーキがね、ごうごうって、渦巻いてるの……」
 グンマはそう言うと、息を小さく吐いた。



 少しそのまま、彼は黙っていたが、急に自分に向き直り、息せき切って話し出す。
「えっとね、赤いミルクセーキは、いちご味だよ! 黄色はバナナで緑はメロン。黒はココア。それでね、青いのって、何だと思う〜?」
「さあ……知らねーよ。つーか、想像するだけで、こう、胸の辺りが甘ったるくなってきて嫌なんだが……」
「ね、青いのってないでしょ? 夢でしか見たことなくって、実際にはないの。だから、ぼく、自分で作ろうって思ったんだ」
 グンマの青い目は、きらきらと輝いていた。
「だから、この前、夏のね、かき氷のブルーのシロップ出してきてね、ミルクセーキにドボンって、入れちゃった」
「あのブルーハワイとかいうやつ? 何でも混ぜりゃあ、いいってもんじゃないだろ……ほんとお前、食い物作るのやめた方がいいって。人命に関わるんだから。作るのは変態ロボだけにしとけよ」
 グンマの料理に関しては……自分は、何もコメントしたくない。
 それこそ、いつか死人が出そうだ。
「でもね、すっごく、きれいなんだよぉ〜!」
 その陶然とした瞳に、蝋燭の光が映っていた。
 ぐるぐる、ぐるぐるってね、かき混ぜちゃうの。
 青色がね、ミルクセーキに溶けててね。
「怖いけど、きれいなんだぁ! 今度、シンちゃんに見せたげるね! 僕の夢の中の、ああいうミルクセーキの海」
 ふふ、と。従兄弟は嬉しそうに微笑んだ。
 ぼく、夢の中で、ずっと砂浜でその青い海を見つめてるの。
 いつか、泳ぎたいなあって、思いながら。
 ずうっと、ミルクセーキの海が、寄せて返して、ぼくから遠くなったり、近くなったりするのを感じながら。
 ぼんやり、してるんだよ。
「シンちゃんは……こんな夢、見ない?」
 シンタローは首を振った。そんな変な夢、見たことがない。
 するとグンマは、そっか、と言って、小さく呟いた。
 今度ね。シンちゃんに、きっと世界に一つしかない、青いミルクセーキ、作って見せたげるから。
 だからね、何処にも行かないでね。
「……何だよ、それ」
「だってシンちゃん、小さい頃から、いっつも……急に、どっかに行っちゃうことあるから……」
「……」
「ぼくさ、いつか絶対、置いてかれるんだなあって……思ったりしてるんだよ」
 幼い頃から近くにいたグンマは、自分のことをよく見ている人間だった。
 シンタローは、『ああ……』と曖昧に言葉を返すことしか、できなかった。



 頭上高くにある、ステンドグラスの窓が、小さく風に鳴る。
「……しっかし、退屈だな。誰も来やがらねぇ」
 シンタローが呟く言葉は、静寂に消えていくばかりだ。
 肝試し参加者は、全て撃沈されてしまっているのだろうか。
「なんかさ、札渡すだけってのも、つまんない役目だよな。俺たちも何か仕掛けて驚かしてやろうか」
 そう自分が何気なく言っただけなのに、今度はグンマは、質の違った笑みを浮かべた。フフ、と。
 何か、悪い予感がした。



「えへ。心配御無用〜! 肝試しだもんねぇ! ちゃあんと用意してきたよぉ! じゃぁーん! パッパラパッパ〜」
 不思議なリュックから、今度はコントローラーを出してきたグンマは、ドラえもんが、ひみつ道具を取り出す効果音を口にして、何やら操作し始めた。
 すると。
 がたん。
 突然、礼拝堂の扉が開き。ズシン、ズシン、と足音がして、何か大きな物体がこちらに向かって近付いてくる。
「日本むかし話の国から、トコトコ登場! 高松に聞いて作った、猫お化けのネコマタ・ロボット、キティ1号でぇーす」
 ああ……。
 シンタローは、赤絨毯の床に、崩れ落ちそうになる身体を必死に支えた。
 俺の目の前に、巨大な招き猫が、二足歩行で歩いてくる……。
 金色の鈴をつけ、右手を高々と揚げている。
 更に尻尾が二本に分かれて、妙にウネウネしていて。一応のところ、尻尾は分かれているものの――
 つぶらな黒目。三本ヒゲ。耳に赤いリボンをつけ、ミニの幼児服を着ている。
 これがネコマタって!
 何か色々混じって間違ってる! 何か間違ってるぞ、グンマ!
「すごいでしょお、シンちゃ〜ん! ぼく、火傷するほど頑張っちゃった!」
「お前……お化け本当に嫌いなのか……? というより、何時の間に用意を……? これにしかツッコめない自分の未熟さを、今、俺は痛感している」
 脱力したシンタローの目に、何か文字が映る。
 猫ロボットの服の裾には。『ハイ! キティ!』とコピーライト。
 しかも『ハロー! キ●ィ!』のバッタもんかよ! パチモンは夜店で売れよ!
「ミューウ! にゃーん! でも日本出身のお化けだから、やっぱり、登場シーンは、にゃーんで決めるべきだよねぇ、シンちゃん、どう思う〜?」
「知らん。無邪気な犯罪に、俺まで巻き込むな」



 そうこうしている内に、かさこそと人の来る気配がする。
「おい、グンマ。誰か来るぞ。その変態ロボ、どーすんだよ!」
 シンタローは思わず豪奢な祭壇の陰に身を隠すと、グンマの袖を引っ張った。
「えっとね、ちょっと待ってね〜、脅かすんだったら、最初は隠した方がいいよねぇ? えい!」
 がたん、ごとん。
 気味の悪い直角な動きをして、猫ロボットは体を折り曲げて、床に横たわる。
「待機状態は、眠り猫っていうのを参考にしたんだぁ〜! 国宝狙ってまぁす」
「……」
 グンマが自分も頭を引っ込めた瞬間、礼拝堂のぎいっと扉が開いて。
 制服を着た二人連れが恐る恐る足を踏み入れてくる。
 彼らの持っているランタンの灯りで、こちらからは顔を窺うことができる。
「お!」
 一番乗りは、どうやらシンタローの同級生だ。
 しかも、あの談話室で流行歌を聞いて、ぽろりと涙を流した少年とその友人。
 お、凄いじゃん、いざという時はやるヤツじゃんよ、コージの言った通りだ、等とシンタローは思ったが、同時に可哀想になる。
 こいつらが最初の犠牲者か……。
 あのミヤギ、トットリ、コージ、そしてアラ……はいたのかいないのか知らないが、とにかく、その関門を潜り抜けてきた勇者たちなのに……。
 ひどい仕打ちだよなあ……。
 そして。
「にゃ〜ん! お化けロボット、ネコマタ・キティ1号〜!」
「う、うわあああああ――――!!!!!!」
 予想通り、少年たちの引きつった叫び声が、礼拝堂に響き渡った。



 化け物の恐怖に怯えたのか、そのロボットの異様さに驚いたのか、一体どっちだろう。そんなことを考えながら、シンタローは陰から身を現し、尻餅をついてしまった二人を助け起こす。
「すまなかったな……何も言わず、これを受け取ってくれ……気を付けて帰れよ……」
 札を渡すと、一人は、こくこくと頷いている。
 ふう。悪いコトしちまった。シンタローは溜息をついたのだが、ふと視線に気付く。
 あの涙を流した少年の方は――じっと自分を見つめたままだった。
「……」
 不自然な間ができる。
 その目を見ていたら、シンタローは、つい言ってしまった。
「……俺、お前に嫌われてる……?」
 すると少年は、しばらく黙りこくった後。
 そっと、『いいえ』と言った。言葉を続ける。
「今は……嫌いじゃ、ありません」
 つまり、昔は嫌いだったということだ。
 自分の何処が嫌いだったのかとシンタローは聞こうとしたが、やめた。
 相手は、今は嫌いじゃないと言ってくれたのだ。
 それだけで、もう、いいと思った。
 だからこう言った。
「一番にここに辿り着くなんて、それにそんなコト、俺に言うなんて。お前、根性あるじゃん」



「シンタローさん」
 相手は去り際に言った。
「……さっき、かばってくれて、ありがとう……」
 そして呆気に取られている友人の腕を掴むと、一目散に礼拝堂を駆け出して行った。
 その後姿を見て、シンタローは思った。
 全部の人間に好かれようなんて、そんな馬鹿なことは考えないけれども。
 こうやって、少しずつ、みんなと……仲良くなれたら。それって、嬉しいことだよなあ、と。
 一年前は、自分一人が強くなればいいという思いばかりだったシンタローだったが、最近では少しだけ、考え方が変わってきていた。



「やったぁ 大成功」
 グンマはパタパタと飛び跳ねている。
「お前……異様にノリノリなんだが……実はサド……」
「あ! また誰か来たぁ! えっと、また眠り猫に……」
「そのロボ、一生眠らせる永眠機能とかついてたら、最高なのにな」
 再び扉が開いて、今度も二人分の足音がする。ぼんやりと、ランタンの灯りで顔の判別が付いてくる。
 まず目についたのは、おどおどと周りを見回している、薄い金髪の少年。
 見たような顔だ。下級生でこんなのいたっけか、とシンタローはその幼い顔に、目を凝らす。
 そして、すたすたと真っ直ぐに歩み寄ってくる、もう一人の方は。
 あれ、とシンタローは思った。
 あいつだ。さっき、理事長室に入ってきた、明るい色の髪をしたガキ。見習いだとかいう、軍属。一年生とか言ってやがったが、こんなのに参加してたのかよ。
「えへへ〜。お客さまがやってきたよぉ、シンちゃん!」
 わきわきと側の従兄弟が張り切りだす。



 そして。
「にゃ〜ん! お化けロボット、ネコマタ1号〜! ネコマタ〜1ごーう!」
 エコーまでかかる、闇を突き抜けるグンマの可愛らしい声。
 しかし、今度は『うわは〜!』と、尻餅をついたのは、一人だけだった。
 もう一人は。その明るい髪をした少年は、微動だにせず、直立不動。微動だにせず、無表情。
「え、えっとぉ! にゃにゃーん! お化けロボット、ネコマタ1号〜! だよぉ〜!」
 静けさの中に、グンマの声だけが切なく響く。
 巨大ロボットが、ぐいーんと少年に向かって伸びる。今度は鼻先5センチの至近距離にまで、近付いているのに。
 彼は相変わらず、直立不動。しつこいまでに、無表情。
 何だ、コイツ。シンタローは思った。
 薄暗がりの中で、眉一つ動かさない、綺麗な顔。
 コイツ。恐ろしい程に。
 ど、動じねぇ……。



「ここがゴールでよろしいでしょうか」
 そう自分が隠れている祭壇に向かって、冷静に声をかけられて、シンタローは何となく恥ずかしくなった。自分も明らかにネコマタの一味なのである。
 何というか……宴会で一発芸をハズしてしまったような恥ずかしさ。
 いや、ハズしたの、俺じゃないけど!
 バツが悪かったが、シンタローは仕方なく身を現す。
「にゃ〜ん! お化けロボッ」
「グ、グンマ! やめろって! 引き際を覚えろオマエ!」
 その瞬間、ひらりと目の端に白が揺れて、ロボットばかりでなく、自分も両手を広げたグンマの上着から、ハンカチが落ちたのだとわかった。
「あ」
 すると、少年は、流れるような動作で、足元に屈み、そのハンカチを拾い上げて。
 ピシッ。
 二つ折り。
 パシッ。
 四つ折り。
「どうぞ」
 グンマの前に、美しく折り畳まれたハンカチが、差し出される。
「わあ、アイロンかけたみたいだぁ〜 ありがとぉ〜!」



 間断置かず、ザッと少年は、嬉しげなグンマからシンタローに向き直る。
「お取り込み中まことに申し訳ありませんが、シンタロー様」
「お、おう!」
 何となくシンタローは焦って答えたが、祭壇の灯りの下、やはり相手は憎らしいほど冷静な顔をしていた。
「失礼させて頂きます」
「は?」
 彼は、高い靴音を立てて、シンタローとグンマの背後に回る。屈む。
 そして床に散らばった、グンマ持参の雑多で大量の菓子を、てきぱきと整頓し始めた。
〜30秒後〜
 敷物の上に、見事に菓子が分類され、整列させられている。
 しかもその並びは、よく見ると、アルファベット順。
 例えば、cの列。
 ケーキ[cake]→キャンディー[candy]→チョコレート[chocolate]→クッキー[cookie]……という風に。
 シンタローのこめかみから、汗が一筋流れ落ちた。
 その作業は美麗かつ迅速。
 こいつ……。
 デキる……。
 当の少年は、さらに祭壇の上の埃をキュッキュッと拭いた後。いつも携帯しているのか、消毒用エタノールで自分の手を拭っている。
「あは、すいません、こいつ、ほんのちょっと潔癖症で……」
 無表情な顔の背後から、人好きのする笑いを浮かべた金髪が、頭をかいている。
「ちょっとじゃねーだろ、ちょっとじゃ」



 札を受け取り去っていく、真っ直ぐに伸びた背中と、少しぼんやりした背中の二人組を見送りながら。
 シンタローは、何となく、後輩あなどり難し、と感じていた。
 彼は基本的には自分でも綺麗好きだったが、他人を叱咤して綺麗にさせるのは、もっと好きだった。
 だが、やばい。あいつには隙がねぇ……。
「ねえねえ、シンちゃーん! あの子たち、名前、何ていうのかなぁ〜? ぼく、すっごく好きになれそうな予感がするよぉ」
 隣でグンマが嬉しそうに言った。
「ほう」
 そりゃ、お前が面倒見て貰うのには最適なタイプだよな、と思ったが。
 二人の名前が、グンマの大好きな甘味系の名であるとシンタローが知ったのは、それからしばらくしてのことだった。



----------



 その後、数人に札を手渡した後、人が途切れてしまって。また長い間シンタローは、ぼんやりと虚空を見つめていた。
 静かだった。肝試しに参加した大多数の人間は、同級生たちの罠にかかり、ここまで辿り着けなかったようだ。
 そろそろ終りだろうか。
 ……ナンか、疲れた……。
 いつの間にか、喋るか菓子を食べるかで忙しかったグンマも、静かになってしまっている。
 お腹が一杯になったのか、うつらうつらしているようだったが。
「グンマ? そろそろ……」
 シンタローは声をかけて、少し様子がおかしいことに気が付く。
 壁にもたれて眠り込んでいるようだが、額にうっすらと汗が滲んでいた。
「おい、グンマ! 大丈夫かよ!」
 強めに肩を揺すると、青い瞳が薄く開く。
「……シンちゃぁん……」
「どーしたんだよ。気分悪いのか?」
「ん……なんだか、疲れちゃったみたい……」
「そりゃお前、はしゃぎすぎだろーよ。よし、帰ろうぜ。もう誰も来そうにないから、言っておけば大丈夫だろ。念のために外に札置いとけばいいし」
 グンマは頷いて立ち上がったが、足元がふらついている。
 俺、無理させちゃったんだろうか。
「……おぶってやろうか?」
「いいよぉ。歩けるよぉ」
 そう言ってグンマは、よろけて祭壇にぶつかりそうになっている。
「ってお前……ほら」
 祭壇の蝋燭を吹き消すと、シンタローはしゃがんで、背に乗れと手で示す。
 グンマはしぶっていたが、最後は『ありがと』と言って、体を預けてきた。



 15の少年が、同じ15の少年を背負うのだ。正直言って、シンタローにとっては、かなりきつかった。
 しかし弱音は吐きたくないので、平気な素振りで礼拝堂を出、森の中を進む。さく、さく、と足元が鳴った。すでに仲間たちは撤収後なのか、人気はなかった。
 背の高い森の樹木が、空に向かって広げる腕。その隙間から、星明りが漏れてきている。
 ……グンマは、体が小さい。
 一族は皆体格が良いのが普通だが、どうしてかグンマだけが、その中では特別小柄だった。
 そういう意味では、シンタローではなく、グンマの方が異端と言えるのかもしれないが、でもそれは些細なことだ。
 気分が悪いのか、大人しく背負われている従兄弟を感じながら、一歩一歩、シンタローは足を踏み出し、土と草を踏みしめる。
 シンタローの顔の側で、グンマの手と長い髪が揺れている。見かけによらず、傷と火傷と胼胝で汚れた手。ふわふわの金髪。背中の重みと、温かさ。
 二人を包む、夜風。



 森を抜け、二人は、寮の裏庭に辿り着く。
 裏庭には数名が屯っているだけで、他の連中は寮に帰ったか、まだどこかにいるのか。
 シンタローが見回すと、ぽつんと黒いラジオが、庭隅に取り残されていて、微かな声で、あの流行歌を流していた。
 ……片恋の歌。
 高松のいる研究所に向かいながら、シンタローはぼんやりと考えた。
 自分がそれを聞いても、ただそういうものかと感じるだけで、特にどうということはない。
 半音ずつ下がっていく、上がっていく、ゆったりとしたメロディ。何の変哲もない、ありふれた歌詞。それを聞いて、ぽろりと涙を零したあの少年。
 きっと彼は、自分と同年なのに、もうそんな経験があるんだなあと思う。
 この歌を聞いて、それを特別なものに感じる心があるのだ。



 ……夕方。
 赤い夕陽に照らされて、こんな、どうでもいいような流行歌を、ぼんやりと聴いていた姿。
 やけにしつこくて、やけに突き放されて、また……意味のわからないことを言われた。
 でもあの人は、どうしてか、必死だった。必死に、自分と、そして何処か遠くを見ていた。
 ただ、自分は冷たいと感じた。置いていかれるような、そんな感じがした。
 何の根拠もなしに、ある考えが閃く。
 あの歌。もしかしたら。あいつにも、そういう経験、あるんだろうか。
 そんなことを、ふと考えてシンタローは、自分の頬に熱さを感じる。
 恥ずかしくなる。また、自分は赤くなったと思った。
 グンマに気付かれなかっただろうかと、思わず背後の気配を窺う。
 そんな発想を自分がしてしまったことが、とてつもなく馬鹿らしいことのように思えて、追い払うように黒髪を振った。
 早くグンマを送り届けて、今日は、早く寝ようと思った。
 俺、馬鹿みたいだ。
「……シンちゃぁん……」
「な、なんだよ!」
 その時、突然グンマに声をかけられて、シンタローはどきっとする。
 だが、掛けられた台詞は、
「今日は、誘ってくれて、ありがと」
 本当は嫌いなのだろう肝試しに誘ってしまって、しかも体調を悪くさせてしまって、済まなかったと感じていたシンタローだったが。
 少し間を置いて、『おうよ。また今度も俺が誘ったら付き合えよな』と返事をした。



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 それから日々が過ぎて。
 シンタローは、いつの間にか、同級生たちの内の一人の姿が見えなくなっていることに気付く。
 あの、ぽろりと涙を零し、一番で肝試しの札を受け取ったあの少年だ。周囲や彼の友人に聞いても、行き先は知らないという。
 同室の生徒たちが朝起きた時には、彼のベットはもぬけの空だったのだと聞いた。身の回りの品も、全て綺麗になくなっていたのだという。
 突然、その存在全てが消え去っていたらしい。前もって、本人は何もそれらしきことは漏らしておらず、そういう素振りもなかったというのだ。
 家庭の事情、とだけが、寮監から告げられた。
 彼が歌に涙を流したことだけは知れ渡っていたので、ホームシックにでも罹ったのだろうか、と少年たちは曖昧に結論を出したのではあるが。
 彼を笑った少年たちは――彼らは肝試しであっさり撃沈してしまったらしい――身を縮込まらせていたが。
 すぐにそのことも忙しい日常に紛れて消えて行った。
 士官学校の月日は短い。二年は、あっという間に過ぎる。



 しかしシンタローは気になって、何かの折にマジックに聞いてみたことがある。
 同級生で、急にいなくなったやつがいるんだけど、知らない?
 相手は最初は何の話かわからないようで、さあ、たまにはそういうこともあるさ、等と言っていたが、急に真顔になって、お前はその子と親しかったの、と聞いてきた。
 別に、と自分は返した。
 その子がいなくなって、寂しい?
 もしも消えた理由が家庭の事情なんかじゃなかったら、お前は傷付くかい?
 そんなことを聞いてくるから。どう言えばいいのかわからなかったから、また、別に、と自分は返した。
 その返事を聞いて、マジックが少し笑った。そして言う。
 そう、お前が傷付かないんだったら……しょうがないね。
 じゃあ、それは家庭の事情だったんだろう。
 急に去らなきゃならない理由は、人それぞれにあるんだよ。
 いつもの、微かに息を抜くような、余韻を持つ声音。すうっと手が伸びてきて、自分の黒髪に触れた。
 長い指の爪が切り揃えられた、綺麗な手だった。自分の汚い手とは違う。
 人に命令し、支配しようとすることを業とする、傷一つない手。その手が触れてくる。頬に、彼の冷たい指先を感じる。囁くような言葉と共にだ。
「好奇心は、猫を殺すよ」



 冷たいと、またシンタローはそう感じた。
 何でもないことであるはずであるのに。マジックの何気ない動作に、どうしてか、自分の胸は不安を覚える。
 そういうことが、多々あった。日常の瑣末事から、それは滲み出して自分に迫る。
 自分の不安の根源は、いつもこの人にあるような気がしている。
 その男の、冷たい指先に触れていく程に、自分は傷付いていくのだと思った。
 時間が経つ程に。徐々に、だが確実に、冷たい熱が身体の内部を侵していくのだと思った。
 皮膚は裂けず、血は流れず、骨も軋まない痛みではあるけれど。
 いつか、それは積み重なって、知らぬ間に全身を侵して、取り返しのつかない傷になる。
 でも今は。一日一日が過ぎ去って記憶へと変わり、何でもない、ただの日々が、続いて行く。









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