訓練試合

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 当日は晴れ渡った空だった。
 今日は士官学校の授業や軍の雑務も午前までで終わり、午後からはいよいよ本選が始まる。
 もっとも、たった今起きたばかりのハーレムには関係なかったが。
 彼は、大きな欠伸をしながら、昨日の名残の酒瓶を片手に、目覚ましのつもりで、フラフラと試合会場のあたりをうろついている。賭け事に挑む前の時間をあてどなく過ごすのが好きだった。淡い高揚感がある。
 一晩飲み明かした余韻の残る目で周囲を見回していると、士官学校の校舎裏の丘辺りで、白衣の男が寝転んでいることに気付いた。
 高松。
 一族の主治医でもある男が、暖かい日光に当たりながら、早速入手してきたらしい速報に目を通している。
 何の気なしに近付くと、ぶつぶつ独り言を呟いているのが聞こえてくる。
 ……◎……本命シンタローくんのオッズが1.63倍。○……対抗は……△……×……▲……黒三角さえついていないこの子は13.8倍ですか。無理もない、今まで外に出ていませんものね……これは当たるとデカイ。やはり……にするしか。
「おい高松……まァたサボってやがるな」
 声をかけると、相手は面倒くさそうに自分を見上げ、言った。
 なんだ、獅子舞ですか。
「チッ……こんの変態ヤブ医者が。何か企んでやがるな、そんな悪い顔してやがる」
「アンタに悪いと言われる程、最底辺まで落ちぶれちゃいないつもりですがね。それよりアンタ、目の端黄色くなってますよ。そうやってどんどん酒と不摂生で寿命縮めて、いつかはのたれ死ぬんでしょうね。見てる分には爽快極まりないですよ」
「……こっちこそお前に言われたかねーぜ」
 自分は口ではかなわないので、あまり言い争いにはなりたくない。
「それよりソレ、見せろや」
 高松が手にしている速報を奪おうとすると、一瞬早く相手は起き上がり、紙切れを背後に隠してしまった。
「何でアンタなんかに。見たいんなら金払ってください。どーせこれから全財産スって一文無しになるんですから、その前に」
「ケッ……いちいちうっせーヤツだぜ。いーさ、俺にゃあそんなモン見なくたって、ここ一番の直感があるからナ」
 どうも自分は高松相手では調子が出ない。
 ハーレムは地面の柔らかい土を蹴った。そして他所を向き、煙草をくわえて火をつける。肺の深くまで煙を吸い込んで、思いっ切り吐き出した。



「……お前、グンマには賭けねーのかヨ」
 昨日、自分は研究所に寄ってグンマにも声をかけた。例のネコ型ロボットをシンタロー戦に合わせて改造中、というから、自分はアドバイスをしてきてやった。
 グンマはひどく喜んでいた。可愛い甥っ子に、叔父らしいことがしてやれたと思って、嬉しくなったハーレムである。
 でもアレでルーザー兄貴の息子っていうから、世の中びっくりだよなァ。
 他意なく話題を変えたのに、突然、高松は打って変わって猛然と食いついてきた。
「ななななな何ですってェェェ!!! グンマ様を賭けの対象にするなんてっっ!!! 汚らわしいっ!!! それでもアンタは元々信じてませんけどあの方の叔父ですかっっ!!!」
「……」
「ああっ……深窓の麗人、温室の花のグンマ様の御体が、衆人の好奇の対象になることすら私は耐えられませんのに……ええい! 男どもの! 男どもの! 汚らわしい金があの方に賭けられるなんて、ナンて卑猥! この高松、精一杯お止め申し上げましたのに……どうしても、どうしても、シンタローくんと戦いたいと仰って……ッ」
 青空の下、全身をくねらせて苦悩している高松。
「……」
「私はこんな低脳無知蒙昧なデクノボーたちと、あの方のお名前が並んでいることすら許せません……」
 ひらりと彼の手元から落ちた速報を、拾い上げてみると、本当にグンマ以外の名前が黒で塗りつぶされていた。
 コイツ、徹底してやがる……。
 シンタローだけは彼なりの気配りか、そこだけ薄墨になっていた。微妙な気配り。
 芸の細かさにハーレムはある意味感動さえ覚えたが、とりあえず賭博者としては紙面の数字に軽く目をやる。オッズである。
「でもコレ見たら、結構グンマのヤツは評価されてんじゃんよ。まぁあんなロボ使うなんてある意味反則だかンな」
「グンマ様が勝ち残ることなんて、私は望んではおりません……なぜなら、勝てばそれだけ長い時間、バカな野獣どもの視線に晒されるということ……お負けになるがいい。お負けになって……そして、私の大きく広げた胸に飛び込んでいらっしゃい……フフフ……グンマ様の泣き顔……アハハハ……」
「……とりあえずその鼻血どーにかしろや……」



「それよりアンタ、誰に賭けるか決めたんですか、18歳以下クラスは」
 その場を離れようとした自分に、何とか興奮を鎮めたらしい相手が、そう聞いてきた。
 ナニがそれよりだ、お前のトリップにはこりごりだぜ。
 そう思いながらも、振り返ってハーレムは答えてやった。
「ぶっちゃけ、昨日いいと思ったヤツは本選残れなかったんだがナ……あのツヤツヤした毛並みは惜しかった。が、俺は甘かった。その後に見回ってたら、もっとビビッとくるヤツがいたのよ。士官学校にあんなのが隠れててたたァ、驚いたナ」
「ほぅ。参考までに聞いておきたいですね。あくまで参考程度に」
「正直、ソイツのキレっぷりに俺は燃えたぜ。アイツはクる! しっかし風邪でもひいてやがんのかな? それが不安材料だけどナ。口にマスクしててよォ……初めは俺の部下に聞いたんだけどよ……名前、なんつったっけ……なんでかどーしても覚えられないンだよな……ナンだっけ」
「まさかアンタ、私と狙いは同じですか?」
「ナニ? お前もかァ?」
「アンタもあの子に賭けるなんて悪い予感がしますが……しかしまあ手は打ってありますがね……フフフ……」
 高松は目の前で、ニヤリと笑った。毒気を抜かれて、ハーレムは肩を竦めただけだ。
 ホント、イヤな顔してやがる。何か企んでやがるんだ。
 陰謀癖っつーの? コイツのこういうのって、死んでも直らねーだろナ。
 白衣の男は、腕を組んで遠くを見つめている。
「しかしこれは縁起が悪い……不吉……凶事の悪寒……アンラッキー不運悲運不祥……そういえばあの子も、そんな顔をしていましたね……」



 微妙な気持ちで高松と別れ、賭博所で単勝に金を賭けた後、ハーレムは人でごった返す武道館に入った。
 面倒な開会式と総帥訓示がちょうど終わった所で、いい塩梅に来たと思った。
 出場選手たちは裏手に消え、準備に入っているようだ。
「さ〜て」
 物々しい軍装の人波をすいすいと擦り抜けて、彼はちゃっかりと、最上段の総帥席にあがる。ガタンと勝手に兄の隣の椅子に腰を下ろし、大きく足を組んだ。
 マジックが胡散臭そうに自分を見、眉間をしかめたのを頬に感じる。おそらく酒臭いことを咎められているのだろうが、無視してやった。
 そのまま自分は、椅子を行儀悪くギイギイさせながら、側にあった本選トーナメント表を見ていた。
 18歳以下は最年少クラスであるため、一番最初に試合が始まる。
 ナニナニ、こちらの御子息、箱入りお坊ちゃまは……おっ、結構すぐじゃねェの。
 そんでメカと鼻血に取り憑かれてるお坊ちゃまの方は……イテッ!
 いつもの癖で、机の上に足を投げ出そうとしたが、目ざとく脇から叩かれた。人前なので眼を使われないだけマシだったが、それでもかなり痛い。
 バシッって音がしやがった。常人だったら骨折れてるって! 兄貴の奴! 身内で俺にだけは容赦しねーのって、不公平だぜ!
 ハーレムが口を尖らせている間に、目の前で第一試合が始まっている。
 上気した二人の少年が裏手から出てきて、向かい合って礼をした。
 どっと観客が沸く。
「しっかし……ホントに……見事に今年の新入生は日本人ばっか集めたな、兄貴」
 その光景を見ながら、彼は兄に話しかけてみる。
「見てきたのか」
「そりゃあよォ。男のロマンを乗せて走る馬だからナ」
「……あの子……シンタローは楽しそうだったかい?」
「おおよ。昨日予選の時に様子見たけど、なかなかの人気者っぽかったゼ? ガキどもに囲まれてよ」
「そう。良かった」
 毎年、士官学校生の募集は世界各地で行われるのだが。明らかに今年度の新入生の国籍は、極東アジアの島国、日本に偏っている。
 何らかの作為があることは確実だった。
「あの子は、自分を半分日本人だと思っているからね……」
 そう言って、兄は、少年達の未熟な試合を目に映している。
 18歳以下クラスの試合を見守る人波には、黒い頭が目立っていた。黒髪黒目。その中に溶け込むシンタローは、全く普通に見えた。
 目立ちはするが、少なくとも異端ではない。
 その意図的な構成。多分、同じ意図でマジックはシンタローの幼い頃は日本で暮らし、日本贔屓になったのだろう。



 この十数年、マジックはシンタローにかかりきりだ。
 そのことが――実は、少しは、ほんのちょっとは、寂しくないこともないような気がしないでもない……ハーレムだったのだが。
 特に幼い頃は、兄は、ほとんど親代わりのような存在だったので、自分の心境には、かなり複雑なものがある。
 だが、その自分の感情にも、もう慣れた。
 兄が変わってしまったと思ったが、単に今まで自分には見せたことのなかった姿を、出しているだけなのかもしれないとも思う。
 マジックは、シンタローに接する時はまるで子供のようになってしまう。
 我儘で勝手で駄々っ子で、とにかくベタベタしたがって。
 そしていつも自己完結してしまっている。
 ガキみたいで呆れる、とハーレムは感じながらも、最近はこう思うようになっている。
 子供時代から……大人の顔で過ごさなきゃいけない兄貴だったから。
 俺たちの面倒見たり、親父が死んでからはすぐ軍に入って、ずっと重荷ばっかり背負ってきた人だから。普通に遊んだり、甘えるなんてできない人間だったから。
 今頃になって、彼は。
 ――存在しなかった子供時代をやり直しているのかもしれない。
「ほら、シンタローの試合が始まるよ」
 その台詞で、ハーレムがぼんやりしてしまった意識を戻すと、甥っ子が壇に上がった所だった。
 しきりに自分の頬をパシパシ叩いている。
 初戦でさすがに緊張してやがるみてーだな。
 その時、隣のマジックがシンタローに向かって何かを投げたことに気付いた。
 ここからかなり距離があるが、背に命中したらしく、シンタローがこちらを振り向く。腕を振り上げて、何か怒っている。
 それに対し、あははー、とにこやかに手を振っている兄。
「もう。やっとこっち見てくれたよ。シンちゃんはサービスのことばっかりで、私には冷たくってさ。わざと見てくれないんだから……ああ、手に花粉がついてしまったよ」
 そう言って彼は、手にしていた大輪の赤百合を脇の花瓶に戻すと、ハンカチで手を拭いた。



 サービスはここからは見えないが、この会場の何処かにはいるのだろう。
 あんなに可愛がっているシンタローの試合だ。
 ――サービス。
 ……ハーレムは、遠くからその存在を窺うことはできても、近くでその目を見ることはできない。
 残された左目。その目は、自分をこう蔑んでいる気がしてならない。
 偽善者、と。
 今、この壇上で並んでいる、兄と自分とは、彼に対して、共犯者であるのだ。
 身近な者に真実を教えないのは、いつもの兄のやり方だったが、ハーレムは自分がそれに加担する立場になってしまったことに、戸惑いを感じている。
 しかし兄は兄で、自分にまだ隠していることはあるのだろう。真実は自分にとって、曖昧で不安定だ。
 ハーレムは過去において、何が真実で何が嘘だったのだろうかと考える度、自分が何処かへと堕ちていくような気がしてならない。
 彼が絶対の自信を持っていたのは、自分の生き様だった。
 正々堂々と。誰の前に対しても、これが俺だ! と胸を張って生きて行きたかった。
 その信念が、揺らぐ。サービスの片目の前では……。
 だから、彼が来ると、自分は酒を飲まずにはいられない。それは逃避だということはわかっていたが、また完璧ではいられない自分の未熟さの表れだろうとも思っていた。
 兄が真実を隠す者だとすれば、自分は半ばは隠し、半ばは隠される中途半端な者だった。
 サービスは隠される者。
 そして……彼と同じ立場の、シンタローとグンマ。
 何も知らない人間と、知っているだろう人間との間で、ハーレムは半端な自分の存在がはがゆくてならない。
 清濁を飲み込めと言うけれど。そんな人間も、一人は必要かもしれないのだけれど。
 今、この何食わぬ顔で隣に座る、兄のように、自分はなりきれるものでもなかった。
 サービスと、シンタローと、グンマの前に出る時。自分は、彼らを哀れだと思うが、だからといってどうする術もない。
 彼らを想う度に、ハーレムは、俺は裏表のある人間になってしまったと、もう何も知らなかった過去の自分には戻れないのだと、口の中に苦い味を感じずにはいられなかった。



 目の前で、試合開始の合図が出る。観客がわっと声援を送り出した。
「兄貴は……さ」
 またとりとめのない思考が中断されて、ハーレムは、何かをマジックに話しかけずにはいられなかった。
 彼と共犯者となって以来、ハーレムはごくたまに自分の心を、小さな風が吹き抜けていく瞬間に出くわす。
 そうすると、どうしても寂しくなって、誰か同じものを共有する人間と一言二言でも交わしたいという気分になる。
 心に風穴が空くのは、自分が弱いからだった。耐え切れない。
 何も知らないということと、知っているということ。現象としての比重は同じであろうが、明らかに前者に罪はなく、後者に罪がある。
 そうか、俺は罪に耐え切れないのだ、ああ弱い男だ、と口の中で自嘲する。
 俺は弱いんだよ。いつまでたっても、未熟でしょうがないんだ。
 だから、何も知らないサービスや、彼と共にいる甥っ子を見る度に。
 自分は、頑張れ、と願わずにはいられない。
 それは責任転嫁だったが、ハーレムの率直な本音だった。
 頑張れって。俺は、無責任に願うコトしか、できない。
 自分は無力だから、彼ら自身の強さに頼ることしかできない。
「兄貴は……さ……」
 話題は何でも良かった。
 視界の中では、甥っ子が、シンタローが戦っている。コイツ、強くなるんだろうな、とハーレムは思う。
 俺が……シンタローと同じ年ぐらいの時は。ああいう真っ直ぐな瞳をしていたんだろうか。
 何も知らない、強くなれることを信じて疑わない少年の目をしていたんだろうか。
 少なくとも。あの時の俺は――今みたいに、年を取るだけでは、それだけでは強くはなれないことなんて、知らなかった。
 昔、ハーレムはまっさらな気持ちだけで生きて行けるのだと信じていた。
 頑張れば、俺はそのまま強くなることができる。
 しかし、今の自分は。何も知らない人間に対しては、弱くなる。
 大人になるということは、弱みが増えていくということだった。
 彼は自分の感情を通してそれを理解したが、ひたすら、辛かった。
 知っているということは、辛かった。自分の弱さが、辛かった。
 守るって。
 守るって、俺は約束したのに……いつまで経ってもその約束は、果たすことができない……。
 あの時よりも、俺はむしろ弱くなっちまった。
 喧騒の中で戦う甥を見つめながら、ハーレムはまた口を開き、言いかけた言葉を捜す。



「兄貴……あのガキんちょ……なかなか、頑張ってんじゃねーかよ。年の割りにゃあ、よくやってる」
「ああ」
 当たり障りのない会話は、それだけにすぐに途切れる。また自分は話を探す。
 甥の姿は、過去の自分や弟の姿を蘇らせる。黙っていると、心が遠くへと時間に奪われてしまいそうだった。
 マジックは――この人は、こんな気持ち、感じたことってあるんだろうか。
 自分には、よくは、わからない。
「兄貴は、どうしてシンタローを14で士官学校に入れたんだ? 俺が戦場に出たのは16だし……サービスだって……もー少し待っても良かったんじゃねーの」
 わずかに間があった。溜息が漏れるのが聞こえる。
「早すぎる、だろう……?」
 自分がその兄の横顔を見ると、『でもシンタローがどうしてもと言うから』と彼は呟き、しばらく黙った後で、また口を開いた。
 ハーレム、と名前を呼ばれる。低く静かな声だった。
「……私は、あの子が戦う姿なんて見たくはないんだよ……だから、昨日の予選は見なかった。本当は今だって見たくはない」
 少しハーレムは驚いた。
「士官学校入れた時点で、兄貴は覚悟できてんのかと思ってたぜ」
「覚悟なんて……」
 マジックは言葉を切って目を細めたが、しかしそれでも懸命に戦っている子供を、視線で追っていた。
 シンタローには素質がある。その上努力型でもあるから、このまま行けばどんどん強くなれるだろう。だがやはり、青に感じる何かが、彼には欠けていた。
 限界は、いつか来る。
「私は今だって、あの子が軍人になるのをやめると言い出さないかと願っている。その反面、私の跡を継いで欲しいと願っている。矛盾だよ。おかしいだろう? わかってるさ。あの子に関しては……私はいつも、矛盾してしまう……割り切れないんだよ……」
 シンタローと暮らすようになって以来、兄はシンタローに関することのみは、こうして自分には開けっ広げに話すようになった。
 自分には。サービスには、どう話しているのかは知らない。
 しかし、その兄の態度にはどこか、自嘲が混じっているように思えて、何となく、いつも自分はやるせない気持ちになる。
 置いていかれる感覚と、目の前で進行していく出来事を、止められない無力感。中途半端に何かを知っていることによる、中途半端で不安定な自分の存在。
 先日の誘拐事件の時にも、マジックの態度から、自分はこの兄が矛盾と言い切る匂いと、同じものを感じたのを覚えている。
『大事なのに、あの子をどうして囮にして危険に晒すかって? ……私が大丈夫だと判断したからだよ。そうしたい時もあるんだよ。少しぐらいあの子が傷付いたって、しょうがない。それで敗戦国の残党を処理できれば、お釣りが来るだろう。ただあの子は……大人しくしていればいいものを、車の移動段階でもう暴れ出した、それは私の予想外。あの子の勝ち。まったく面白いね、シンタローは。絶対に私の思い通りにはならないんだよ』



 ダメだ。どうも今日の自分は、内に篭る。
 ハーレムは、それを振り切るように頭を振った。まとまりのない金髪が、擦れてパサパサ音を立てた。
「ほら、向こうの試合」
 マジックが指をさしている。
 実はハーレムも、そっち別面の試合が気になっていたから、素直に視線をやる。シンタローの試合と違い、その面は微妙な雰囲気に包まれていた。
「懲罰中の子だが、この試合に優勝したら釈放措置を取ると伝えて、仮釈放してみたよ。特殊能力の所持者でね。数年前からわざわざ前もって、お前の部下のマーカーに預けて修行させていたのは、シンタローの手頃なライバルになるかと考えたからだが……さて、どうかな」
 その周辺には防火装置や給水ポンプ等が配置されていて。
 へへ。大掛かりなヤツだぜ、と沈みがちな気を取り直し、ハーレムは拳を握り締めた。
 ハーレムが執心しているのは、まさにその少年なのである。
 そう。男はやっぱ、燃えなくっちゃいけねーよ。とにかく燃えるトコが、こう、ビビッときたゼ!
 前のキューティクルは残念だったが、アイツが本選に出れねー以上、俺の一か月分の飲み代を倍にするのは、アイツしかいねえ!
 アラ……アラ……ええと、名前、なんつったっけ?
 すると、マーカーの名から連想が働いたのか、少し違った声音で今度はマジックが聞いてきた。
「それよりお前。また戦場で独断行動を取ったらしいな」
 ギクリ。
「お前の上につく人間が気の毒だよ。心労で今にも倒れそうだ……それに周辺からも、あくまでも匿名だが苦情を聞いている。まったく、いつまで経ってもお前は……」
 ハーレムは頬を膨らませた。
 俺は、俺のやりたいようにやりたいの! それが俺なんだっての!
「だからよォ、俺を独立させて部隊長にしてくれりゃあ、問題は一気に解決なんだヨ。な、兄貴、そうしよーぜ! っつーか、そもそも俺に総帥譲れば……」
「……私はお前の戦闘力は認めるが、戦略能力は認めていない。言い換えれば、お前は壊すだけは得意だが、何かを考えるのは向いてない。支離滅裂で無茶苦茶だ。とりあえず目の前の敵を倒すことしか意識がないだろう? そういう人間にはまだ無理。部隊として船を与えても、すぐに壊すのは目に見えている」
「……ケーチ! ケチ! ケチんぼ兄貴!」
 あーあ。
 煙草が吸いたくなってハーレムは胸元のポケットに手を伸ばしたが、この場が禁煙だったことを思い出して一層イライラしてしまう。
 全世界のヘビースモーカーのためにも、俺が総帥になるべきなんだよ。
 チッ……。
 彼は忌々しげに舌打ちをした。
 この調子では、自分が部隊として独立し、艦艇を持たせて貰えるのは、もっと先のことになるだろうか。
 ハーレムは、自分に付いてくる部下を勝手にまとめて、事実上の自分の部隊らしきものを作ってしまっている。
 戦闘に特化した切り込み専門の部隊――特戦部隊として、すでに戦場ではその通称が知れ渡っていた。
 後は事実を正式に認めてもらい、命令系統を一元化して船を貰うだけ。
 しかしなかなか許しが出ない。
 クッソ。こうなりゃ、ますます上につくヤツらをイジメまくって、俺をトップにしなきゃぁならねーよーにしてやるぜ。
 改めて、決意を固めたハーレムであった。



 目の前の試合は均衡している。
 初戦、シンタローはなかなか手強い相手に当たってしまったようだ。相手は少年兵らしいが、すでに大人の体躯をしている。
 しかし制限時間ギリギリで、シンタローはその腹に綺麗に蹴りを入れた。そこで相手が崩れ落ちて、試合終了。どっと喝采が沸く。
 勝者となったシンタローは、嬉しそうに会場入口の方を見つめているようだ。多分、その場所にサービスがいるのだろう。
「シンタローは……」
 そんな甥を見つめる自分の側で、兄が呟いた。
 愛する息子のために、その友人もライバルも、用意した男。
「シンタローは、どうしてか、私たちとは違う……」
 ハーレムは黙っていた。
 甥に自分の過去を重ねてしまうハーレムであるが、決して重ねることができない部分の存在にも気付いている。
「姿かたちのことを言っているんじゃない。根本的に私たちとは何かが違う……私は、シンタローは天国に行けるような気がするよ……あの子も青の一族のはずなのに……」
「……」
「なんてね」
 そしてその後も。
 自分たちは、喧騒の中を、ただ黙っていた。



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「シンタローさんっ! お疲れさまだべ!」
「凄かったっちゃね
「まずまずじゃのう! さすがワシの弟分だけあるわい!」
 シンタローは壇上から降りると、同級生たちに肩を竦めた。
 初戦で緊張したが、何とか勝てて良かった。
「まーな。それより……隣でやってる試合が俺は気になる」
 アイツ、独房に入ってたんじゃねーのかよ。シンタローは、眉毛をぴくぴくさせた。試合中、気が散ってしょうがなかった。
 まーた、親父の気まぐれ特例かぁ?
 ド派手な火花の散る音と、水音。ボッ、ボッと発火現象が起こる度に、防火服を着た衛兵が忙しく給水ポンプで消し回っている。
 大変だよなあ、と同情せずにはいられない。
 そして聞こえてくるトーンの高い声。
「フハ、フハハハハハ!!! わての残り少ない命を! 命を燃やして燃やし尽くしてやるんどす――――!!! 命短し燃えよ男子! 花より男子! バーニング! バーニング!! 君も、君も、アラシヤマ〜! 燃えて青春駆け抜けろ!! お父はんお母はんお師匠はん、見てまっか!!! わては今、最高に輝いてますえ〜〜〜!!!」
 しかも、うっすらと人が変わっているような気がする。
 ――アラシヤマ。
「あれだっちゃ。内気っ子は、人前に出ると急に目立ちたがりで気が大きくなることが多いっちゃ! 逆にハジケるんだっちゃ!」
 トットリが訳知り顔でミヤギに説明している。
 ……それだけかぁ? あの異様なキレようは……。
「なんじゃあ、アラシヤマのやつぁ、マスクなんぞしおってからに」
 しかも、どうしてか風邪用の四角い白マスクをしているから、余計に胡散臭い人間になってしまっている。
「それよりもシンタローさんは次の試合に備えるべ!」
「次は従兄弟のグンマさんだっちゃ! 親戚対決っちゃね!」
「あ、ああ……」
 少し引き気味になりながら、その場を離れるシンタローだった。



「ボクねぇ、シンちゃんのために一生懸命作ったんだぁ!」
「……どこに。何を」
 従兄弟二人は向き合って礼をし、試合開始の合図が出たのだが、だだっ広い壇上には、素手のグンマがぽつんと突っ立っているだけだ。
 白衣でちょっと内股。ちょっと巻き毛。いつもの姿。えへー、と相変わらずの満面の笑みだ。嬉しそう。とっても嬉しそう。
「待ってね 今、登場させるよぉ」
「何が登場させるよぉだ。もー試合は始まって……」
 その時、床が揺れた。シンタローの足元からこの尋常ではない揺れはくるようだ。シンタローは思わず跳躍して、壇の隅にさがる。
「!????」
「発進
 ゴゴゴゴゴ……。
 シンタローが飛び退った瞬間、壇の中央が二つに割れ、大音響と共に何かが迫り出してくる。
「な、なにィィィィッッ!」
「じゃーん! 颯爽と地下基地から登場〜! 昨日ハーレムおじさまにアドバイスを受けて、さらに改良を加えたネコ型ロボット・ニャンボット改め……」
 それは、どうしてか見覚えのある青い物体。ただし、体長は3メートルはある。口がスイカの形に裂けている。赤く丸い鼻。三本のヒゲ。首輪と鈴。
 青くて、丸くて、ズン胴……ちみっこならアンアンアンとっても大好きな……。
 シンタローは、限りなく悪い予感がした。
 笑えん。つーか、パク……。
「ドラボット1号だよぉ! ちゃんと青の一族カラーに塗ってまぁす! グンマ、行っきまーす
 早急に破壊することに、自分は命を賭けようと思った。



「それえ! ハーレムおじさまと、ちみっこの夢を乗せてイけぇ、ドラボット〜!」
 どかーん!
 ずがーん!
 光る丸い目とパクッと開いた口から、情け容赦なく吐き出されるビームとミサイル。
「うわっ……くっ!」
 バク転してシンタローが避けると、ゴゴゴ……とその丸い頭が振り向き、ゆったりと狙いを定めて、また攻撃を繰り出してくる。
 二頭身の癖に、意外に無駄のない動き。
『ぼ〜くぅ、ドラボット。みらいのくにぃから〜やってきた〜ぁ、ネコ型ロボットさぁ〜っ』
 チィッ……大山●ぶ代の声まで合成してやがる!
 シンタローとグンマは、声優が交代する前に、ちみっこだった世代であった。二人は一緒にテレビを見ていた思い出まである。
 シンタローはドラボットの攻撃を避けることで精一杯だ。ちょっと切なさに胸がつんとする。
 なんで! なんで、俺の親戚は変わった方が多いの?
「もーうっ! シンちゃん、逃げすぎぃ!」
「そりゃ逃げるわい! ちみっこの、くっ、あんな夢こんな夢もっ……はっ! 一気に幻滅!」
 それでも容赦ない攻撃をかわしながら、シンタローは何とかロボットの背後に回る。
 しかし、そこに目的のものはなかった。ドラボットの尻は、青くつるりとしていた。
 ちみっこ時代に、マンガとアニメから得たシンタローの知識では、その弱点は……。
「もっちろん、弱点のシッポは取ってあるよ 昨日、ハーレムおじさまがねぇ……」
「クッソ! あの少年の心のヤな部分だけを残したアル中め! キタナイんだよっ!」
「ドラボットぉ〜! シンちゃんは後ろにいるよ! 回って! そこ! 右パンチだぁ〜」
「うわたっ! なんでしかもこの変態ロボは……武道派なんだよっ! わたっ……ひっ……ひみつ道具で戦えよ!」
「だってぇ。ぼく、まだそこまで開発できないんだもん。でもねぇ、ぜったい、将来はねぇ……ドラボット〜! そぉれ、左キックぅ!」
 それにしてもコントローラーさえグンマは持っていない。口で指示しているだけだ。
「えっへっへ〜! 不思議でしょぉ、シンちゃん? ドラボットには、人工知能AIを搭載してるんだよぉ〜! 僕の声で動くんだぁ そいやぁっ! ちくちくヒゲ攻撃っ」
 グンマの指示通り、ロボットは体を折り曲げ、その巨大な顔を下向きに打ち付ける。
 ガコォォォン!
 鋼鉄製の三本ヒゲが、シンタローの体の数ミリ側を通過して、床にグサリと突き刺さった。メリメリメリッと音を立てて、壇が避ける。地割れができる。
「……ッ……こんなヒゲあるかぁっっ!!! 殺人ヒゲ禁止! ちっともちくちくと違う! ……AI? もーどーでもいいわい……っ!」
 律儀にツッコミと返事をグンマ返してしまう、シンタロー。
 その時である。
「フフフ……ここは、私が説明いたしましょう!」
 ざわつく観客席で、一人の男が高らかに声をあげた。



 男は試合中の壇に上り、悠然と自分たちに向かって歩み寄ってくる。笑みを浮かべて。
 高松。
 ……シンタローはこの時点で、すでに審判に対する期待を放棄している。
 高松は中央に立つと、腕を挙げ、観客をぐるりと見回して言った。
「フフ……みなさん、御機嫌よう。私は科学の進歩とグンマ様の成長に命をかける男、ドクター高松っ!!! 本日はグンマ様の成長振りをお目にかけることができて、この高松、今日という日を……嬉しく……思……」
 空気も読まずに、朗々と演説し出した男は、不意に言葉を濁し、こめかみを押さえた。声が震えている。
「ああっ……しかし本当は……本当は……私はグンマ様……本当は……」
 ばさり。白衣の翻る音と共に、彼はグンマを切なげに見つめている。グンマもうるうるした瞳で、彼を見つめ返す。
「高松ぅ……」
「グンマ様……私は、あなたの戦う姿など……」
 また嫌なメロドラマの気配がしたので、慌ててシンタローが遮断する。勘弁して欲しい。
「前置きはいいから、早く喋って去れよドクター。俺は一刻も早くこの物体を破壊して、身内の恥を……っていうか、今この瞬間も俺は、」
「やれやれ、シンタローさんはせっかちですねぇ……いいでしょう! 教えてくれと言うなら、教えてさしあげましょう!」
「だから俺は教えろなんて一言も、」
「このドラボットの人工知能はっ! ただの半導体とプログラムの詰め合わせじゃありません。ナメて貰っちゃ困ります。科学と化学の融合なのです! グンマ様と私の頭脳の融合! 愛の共同作業! アイと書いてAI! エーアイ! グンマ様と私の、ええ愛!」
「わぁ、高松ぅ、そのシャレ面白おかしすぎるよぉ
「……お願いだから早く終わらせて。恥が取り返しのつかない所まで来てるから。みんなが見てるから」
 シンタローは試合放棄しない自分を、褒めてあげたいと思った。
 仕方がないので、静止している巨大ロボを窺う。なんとかして自分はこれを破壊しなければならないのだ。
 しかし今、闇雲に攻撃しても、自分の力では分厚い装甲に跳ね返されてしまうだろう。
 弱点……。この巨大ロボの弱点は、どこだ……。
 そんなシンタローを他所に、高松の話は滔々と続いている。



「……よって! 私高松は生物科学的見地から! より本物に近づける為にその生態パターンを分析! 擬似神経組織を相互接続してニューラルネットワーク化! 自然言語の理解と推論処理、認知、空間の把握もろもろをグンマ様の知識工学で……」
「トットリぃ……ドクターは何を言いたいんだべ?」
 シンタローが観客席に目をやると、同級生たちがのんびりと談義している。
 きっと高松の説明なんて、右から左に抜けているミヤギに対して、やけに俯いているトットリが、口ごもっている。
「わかんないだっちゃ……でも、ぼかぁドクター嫌いだっちゃ……」
「どしたぁ? 何されたんだべ、トットリ」
「……生え……生え……」
「ハエ? どこにも飛んでねーべ?」
「……うん、ベストフレンドのミヤギくんにも、これは言えないことだっちゃ……僕の心のキズは、深いっちゃよ……」
「ナニぃ? ぬしもドクターに手荒なことをされたんかぁ、トットリ! ワシゃぁ、5リットルも献血させられて、うっかり死にかけたけんのぉ!」
「おっ思い出したべっ! オラも勝手に縛られて、論文のためっつーて、手術させられたんだべっっ! モ、モルモットっつうやつだべ!」
「ミ、ミヤギくんも? やっぱりアイツは許せないっちゃ! でもその前にそんな深刻なコト、忘れちゃダメだっちゃよ!」
 人望ねぇなあ、ドクター……。
 遠い目をするシンタローだった。自分だけは何もされていないように思えるが、それはグンマの従兄弟だからだろうか。
 その間にも高松の独壇場は続いている。
「はっはっはっ! アッタマ悪い、おガキどももいるようですから、わかりやすく説明しましょう! つまり、このロボットは、そのモデルに即し、いわゆる『のび太くん』の特徴に反応して動くのです! つまりその場にいる、一番可哀想で、おバカな子の声を自動選択してその手となり足となる! コントローラーいらずのハイテク装置! まさにグンマ様のためのロボットです!」
 その得意満面な顔。
「やったぁ! すごぉい、僕たち、すごいよっ! 高松ぅ!」
 嬉しそうに飛び跳ねるグンマ。
「グンマ……それって、お前がこの場で一番バ……いやいい。話が長くなるからいい」
 そしてシンタローが身構えて、試合が再開された。



「よぅし! ドラボットぉ〜! 飛び込み大パンチ→しゃがみ中キック→キャンセル波動拳だよ
「グンマ……なんか違ってきてねーか……って! 普通にやってくるし!」
 無機質な目を光らせて、明るく笑った顔のまま、次々と連続攻撃してくるドラボット。
 シンタローは繰り出してきたパンチをかわすと、巨大な腕に飛び乗り、そこから大きく跳躍して赤い鼻に蹴りを入れた。
 ガインッッ!!
「痛っ……つぅ……っ」
 鈍い音がして、シンタローの足は跳ね返された。猫は鼻が弱いっていうのに。鼻は弱点じゃねえのか。
 同じ方法で比較的装甲が薄そうな、目や口にも攻撃してみたが結果に変わりはなかった。しかも、表面が滑る。特殊加工を施してあるようだ。
 普通の人間の攻撃じゃ、ダメなんじゃねぇのか、このロボットは。無理だ。きっと無理なんだ。
 シンタローは、無力感に陥りかけた。



 俺じゃ……いくらやっても、無理かもしれねぇ……。
 何か……。何か、特殊能力がないと……。
 俺にも……。
 目の前に立ちはだかる全長3メートルの巨大ロボ。その外見とは裏腹に、装甲車並の頑丈さと、自動迎撃システム並の冷徹な反応力を備えている戦闘機。
 逃げ回るしかない自分。
 肩を落とす。ロボの攻撃を避ける速度も、鈍ってきた。攻撃がシンタローの頬をかすめ、赤い線が走る。
「……」
 シンタローは、落ち込み、あきらめかけた。
 その時、
「シンタロー!」
 背後の観客席から、コージの野太い声がした。
「ワシらも助太刀するけんのぉ! だから、もー少し辛抱するんじゃぁ!」
「は? ……いーよ、余計なコトすんな。黙って見てろ」
 シンタローは振り向かず、そのまま答えた。
 同級生に頼りないと思われたかと、恥ずかしかった。握りしめた拳が震えた。
「そーはいかんべ!」
「そうだっちゃ! これはただの助太刀じゃないっちゃ! ドクターという医務室の悪魔に対する僕らの戦いだっちゃ!」
「……いいって」
 ミヤギとトットリの声まで背中から聞こえてきて。
 シンタローはそれを振り切るように、敵に向かって飛び出した。そして無駄と知りつつも、攻撃技を仕掛ける。
 こいつらまで不安にさせるなんて。
 俺は。
 俺は……自分が情けねぇ……ッ!
 そう歯を食いしばった後、彼は敵に飛び掛る瞬間、ほんの一瞬だけ、この武道館で一番高所にある席の方を見た。
 そしてすぐに目を逸らした。



「ぐっ……!」
 激しい音と共に、シンタローは床に叩きつけられた。受身がわずかにずれたため、打った頭がクラクラする。目が回る。
 やっとのことで立ち上がるが、策が思いつかない。このままでは自分は体力を消耗していくだけだ。
 クソ……悔しいが、まったく歯がたたねぇ……ッ!
 目の前に立ちはだかる、巨大な敵。
「シンちゃぁ〜ん……もう降参してよぉ……ふえーんっ!! ぼく、こんなのヤだよぉっ! えーん、右パンチぃ〜」
「なっ、泣きながら容赦ねーな、グンマお前はっ!」
「ああ……りりしくなられました、グンマ様。情に流されない、それでこそ立派な男というものっ! この高松っ! この高松っ……」
「ええい! 観客席からうるせーんだよ変態化学者!」
 その時。



「さぁて準備万端! 天下無双! 通常攻撃が効かんのなら、精神攻撃じゃあッッ!」
「だべ!」
「だっちゃ!」
 同じ観客席からまた同級生たちの声。
 いいって、とシンタローは言おうとした。だが、そう言う前に事態は進行していた。
「トットリ忍法! 隠れ身の術! おニューバージョンだっちゃ!」
 ボンッ! 煙玉が投げられて、白煙が辺りを包んだ。
 モクモクモク。
 周囲の観客が、咳き込んでいる。わあっとどよめきが起こる。
 次の瞬間、煙の中から現れた物体は――巨大な一匹のネズミ。
 一番下にコージ。真ん中にトットリ。一番上にミヤギ。
 三人が騎馬戦のように合体し、顔だけを出して、一緒に巨大なネズミの着包みを被っている。
 体長3メートルはあるだろうか。ドラボットと同じ大きさである。
 しかも花柄、ファンシー。恐るべき合体技である。
「チュウだべ!」
「チュウだっちゃ!」
「チュウじゃけんのう!」
 シンタローは試合中にも関わらず、どっと脱力した。
 カブトムシとセミの次は、巨大ネズミかよ……。なんかもう。お前らね、いい加減に。
「アホかお前ら……そんなの、効くはず……」
 背後でドシーン! と壮絶な音がして。
 くるりと振り向いた、シンタローの目に映ったドラボットは、引っくり返って痙攣していた。シューシューと口から蒸気のようなものを吐き出している。
「って! 効いてる!」



「よォォし! ダメージ受けてるべ!」
「このまま走り回るっちゃよ
「よしきたア! 任しちょけェ!」
 ドタバタ試合会場のあちこちを駆けずり回る巨大ネズミ。
 グンマが泣き出した。
「ふえぇぇ〜〜〜ん! どーしよぉ、高松ぅ!」
「クッ……敵もなかなかやりますね……ドラボットの唯一の弱点を突いてくるとは……流石シンタローくんのお友達だけあります」
「……いいのかよ? アンタら、それでホントにいいのかよ!?」
 そんなシンタローに対して、高松はニヤリと笑った。
「フフフ……大丈夫です。ここでグンマ様の出番と相成る訳です」
 高松は白衣のポケットから、バナナを取り出した。
 おもむろに皮を剥いてそれを食べ出す。
「……ナニやってんだよドクター……」
「まあ見ていてごらんなさい」
 彼はバナナを食べ終わると、その皮を、オロオロしているグンマの足元に投げた。
「さて……あっ! ホラ、グンマ様! あそこにお花が咲いていますよ!」
「え、どこ、どこぉ? ……あっイタっ!」
 ぱっと駆け出したグンマは、見事にコケた。
 それもバナナの皮から1メートルは離れた場所で。何もない所で。
「ふえええぇぇ〜〜〜んっっ!!! 痛いよぉ! 助けてぇ!」
 すると。
 引っくり返っていたドラボットが、ぴくりと震える。吐き出されていた蒸気が、止まる。その手足が動き出した。
 ギギギ……と音を立てている。
 なんと、ドラボットが起き上がり、グンマを助け起こそうと近付いてくる。
「なっ……」
「フッフッフー。驚きましたか、シンタローくん。何もない場所で転ぶというグンマ様の特性を応用し、思わずドラボットが言うことを聞きたくなる状況を作り出してみました。これぞ頭脳の勝利」
「……」



「ああっ! ドラボットが復活してしまったべ!」
「こりゃあワシの超必殺技・ダウン起き上がりも使えんわい!」
「かくなる上は! こっちも最終手段だっちゃ!」
 巨大ネズミは四散し、騎馬戦から元に戻った三人である。
 と――トットリは、懐から薄黄色で丸いものを取り出した。
 そして、それをコロコロと床に転がす。
「おおっっ! そ、そいはっ! オラの大好物! 仙台銘菓・萩の月ッ!」
 バッとミヤギは、まだ頭に引っかけたままであったネズミの着包みを抜け出すと、転がる萩の月を追いかけた。
 そして追い越しすぎ、勢い余って転ぶ。転んで、ついた尻餅で自ら萩の月をべしゃりと潰してしまった。
「痛っ! って、どこだべ! どこだべ! オラの萩の月!」
 尻に目的のものをくっつけたまま、それに気付かず這いつくばって仙台銘菓を探し回るミヤギ。辺りに甘いクリームの匂いが広がった。
「どーしてか、オラをユーワクするようにニオイだけはしてくるべ……もーガマンできねェべ……誰かァ! 探すの手伝ってくれろ!」
 シーンと静まり返る場内。みんなどう反応していいかすらわからない。
 その中で、唯一、動いたものがある。
 ギギギ……と音がして、グンマの側にいたドラボットが反応した。
 今度はミヤギへと向かって、ズシンズシンと歩き出す。
「な、なにィィッッッ!!!」
「うわーん! 高松ぅ! ドラボットがあっちに行っちゃったよォ!」
「さすがだっちゃ! ミヤギくん! こっちの方が普通人には難易度が高いはずだっちゃ! 作戦勝ちっちゃよ!」
「なァ……これって、何の対決してんだ? 可哀想な子対決? おバ……対決かよ? つーか時間制限は? いいの? これで?」
 立ち尽くしているシンタロー。
「今だっちゃ、ミヤギくんっ! 今ならドラボットはミヤギくんの言うことを聞くっちゃ!」
「……? そげだかぁ? じゃあ何頼むべ……これって願い事はいくつまでだべ?」
「違うっちゃ! さっき打ち合わせした通りに叫ぶちゃ!」
「あー、あー、あれかぁ! えーと、そんじゃあちょっくら失礼するべ」
 ミヤギは大きく息を吸い込んだ。
「ドラボットォ! ジバク! ジバクしてくれろぉ!」
 そして周囲は、爆発の大音量と粉塵に包まれた。光熱の中で、トットリはシンタローに向かって笑いかける。
「ジバクくんフォーエバー! だっちゃ!」
「だべ!」
「じゃけんのう!」
「……」
 こうして三人の活躍により、ともかくも親戚対決に勝負がついたのだった……。



 よくわからないままに、勝者にされてしまったシンタローである。
 『ふえぇ〜ん! 日記に書いてやるぅ〜!』と台詞を残し、泣きじゃくりながら去ったグンマと高松。
 妙に幸せそうだった高松の顔と鼻血が印象に残っている。
「お前ら……グンマは結構こういうの覚えてるから、将来気をつけろよ……」
 自分は三人にとりあえず声をかける。
「そんなことより、シンタローさんが勝てて良かったっちゃ!」
「そげだあ! オラたち協力できて鼻が高いべ!」
「ワシのダウン起き上がりを披露できんかったんは、惜しかったがのォ!」
 いや、勝ったって言ってもさ……。
「……」
 でも。ミヤギとトットリに、無邪気に笑いかけられて。コージに、やけに親しげに肩を叩かれて。
 彼らの明るい好意を見せられて。
「その……お前ら……」
 シンタローは鼻の頭をかいた。照れくさい時に、彼がやってしまう癖だった。
「ありがとな」
 目の前の三人の顔が、一様にほころぶ。
「オラ、シンタローさんに、初めてお礼言われたべ!」
「わーい だっちゃ!」
「ガハハハハハ! やっとシンタローもワシの実力を認めたよーじゃのォ!」
 シンタローは口を少し曲げ、その後、彼らに合わせて少し笑った。
 しばらくそうしていた。
 そして、
「俺、軽く突き指したみたいだから、医務室行ってくる。絆創膏でテーピングしてもらってくるわ」
 その場にいられなくなって、シンタローは、身を翻す。人のいない方向へ、走り出す。
 凄く……恥ずかしい。



〜その頃の総帥席〜
「あーあー。まー、グンマはよくやったゼ。俺の指導がキいたな」
「ハーレム……私はある意味、お前が16の時の夢を捨ててはいなかったことに感動している」
「だろォ? 俺ァ、こういう男の夢に関してはしつこい性分でね。とことん粘るぜ。だから、さっさと俺を部隊長にしてくれよォ、兄貴ィ」
「却下」
〜総帥席終り〜



 長い廊下で、シンタローは足を止める。
 医務室の扉は、少し開いていた。そこからなにやら声が漏れ聞こえてきて、ひどく深刻そうな雰囲気だった。
『ドクター……お願いどす! ドクターっっ!!!』
 アラシヤマだ、とシンタローは思った。自分の次の試合の相手は、確かこのアラシヤマだったはずだが。何が起こったのだろう。
 そういえば、さっきヤツは風邪マスクをしていた、とシンタローは思い起こす。
 ここは医務室である。ということは、ヤツは、病気……なのか?
 つい聞いてしまう自分である。声は続く。
『ドクター……はっきりと言うておくれやす。わては……わては、ほんまにただの風邪どすか……? 実は……不治の病なんじゃないかと……わては……わてはっ!!!』
 そして高松の声。
『大丈夫です。アラシヤマくん。私を信じなさい。私の薬を飲めば、アナタは治ります。試合のような激しい運動をする前は、ほら、この薬を一錠。先程も言いましたが、いいですか、飲んでから30秒で効き目が出る超即効性ですから……』
『お願いどす! はっきり言うておくれやす! そしたら、そしたらわては、それまでに人間のお友達を一人だけでもええから……』
『そーですか? じゃあ、はっきり言いましょう。アナタの病気は』
『ああああああああっっっ!!!!! やめておくれやす! やめておくれやす! 今は心の準備ができておりまへん! 後で光り苔のトガワくんと一緒に……インフォームド・コンセントは家族と一緒に……そやけど……ああああああああっっ!!!』 
『落ち着きなさい。落ち着くことです、アラシヤマくん。仮に……アナタの余命は残りわずかとしましょう』
『なななななななんどすってぇぇぇぇ――!!!』
『だから、仮に、の話ですよ。さて、アナタはどうしたい?』
『どうしたいって言わはりましても……お友達を……お友達をっ!!!』
『そう。そのお友達。アナタは光り苔を友達にしているみたいですが。そこにアナタの願望が表れているのだと私は見ました。違いますか?』
『ど、どきっ!』
『アナタは暗くて内気です。しかし心の底では光り輝きたいと思っている……そう、今こそその時、時は今! その思いの丈を試合にぶつけるといいでしょう……精一杯おやりなさい! 目指すは優勝……ガッポリ大儲け……』
『輝き……優勝……わては……ガッポリ大儲け……えぇ?』
『いえいえ、最後のはこちらの話です。さぁ、この五円玉を見て。アナタは輝きたくなーる、輝きたくなーる……』
『わては……輝きたくなる……輝きたくなる……』
『そうそう。ささっ、ここでこの風邪薬を飲んで……アナタはシンタローくんを破って優勝する……』
『わては……優勝……優勝……』
「……」
 シンタローは無言でその場を離れた。
 聞きたくないことを聞いてしまったと思った。



 その後、シンタローとアラシヤマの試合が始まるかに見えたのだが。
 試合は行われなかった。
 アラシヤマが本選の壇上には出てこなかったのだ。
 彼は、医務室でうずくまったままだった。膝を抱えて。その腹からは、ぎゅ〜ぐるるるー、と明らかな異音。
「ド、ドクター……このカゼ薬……」
「おや、下剤がありませんねぇ。アレ? 私、何か間違えましたかねェ?」
 その後、棄権により優勝できなかったアラシヤマは、再び独房に戻されたという……。



 こうして18歳以下クラスの優勝はシンタローとなり、彼は初めてナンバーワンの称号を得ることとなったのである。
 本人は釈然としなかったが、周りの同級生たちが喜んでくれたので、彼はまあいいか、と思うことにした。
 またちょっと、仲良くっていうか、楽しくやれたし……な。サービスおじさんも喜んでくれたし。
 ……アイツにも、そうはみっともないトコ、見せなくて済んだし……ん? 俺自身は別に変じゃなかったよな?
 次、自分の力で一番になればいい。
 みんなの力で一番になるっていうのも、まあ、たまには、ありかもな。
 こういうのも。学校生活ってのも。
 悪くない。



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「……やはりここでしたか」
 背後から、雨音に混じって声がした。自分は振り向かず、天から落ちる雫を身に受けている。雨は服に染みとおる。肌が濡れていくのを、感じていた。
 この墓地に来る時はいつも雨が降る。
 小高い丘。濡れた土。溶けていく大気。あの十数年前の葬儀の時と、同じ。
 サービスは空を仰ぐ。冷たい空気と灰色の雲。晴れることはないのだと思う。この闇は、あの時から晴れることはない。
 自分の背に、高松が一人呟いている。
「……サービス。アナタは何も知らない。驚く程に、知らない。何もね。そのことを自覚するのも面白いですよ」
 さあさあという雨の擬音は、単調すぎて共犯者の声を掻き消してはくれない。
 だから自分は応じるしかなくなる。
「では、お前は何を知っているという。高松」
「私だって」
 目の前の墓に掘られた文字は、ただ無機質だった。生前のあの優しかった人の面影を映してはいない。
 ――優しかったあの人。
 ルーザー兄さん……。
 失われた人。
「私だって、何も知りませんよ……もし知っているとしても、真実のごく一部、断片しか知りません。きっと全てを知っている人間なんて存在しないでしょう。各々、それぞれに違った断片のみを知っている。ただ人間同士が諍いあっていますから、いつまでたってもジクソーパズルのピースは埋まらない……互いが互いに対して、共犯者であり犯罪者である関係……それがあなた方、一族の歪んだ姿ですね」
 声は続いていく。
「ただ、それにしてもアナタは知らな過ぎる。シンタローくんやグンマ様は除いて、大人たちの中では格段に。むしろ自らが、見るものを信じず、知ることを拒否したがっているのでしょうか」
 サービスは雨を含んで重くなった金髪を、僅かに揺らした。手を伸ばして、墓石に触れる。
 ただ冷たかった。
「……確かに僕は何も知らない。けれど、ルーザー兄さんがここにはいないということは知っている」
「ここではないとすれば、あの方はどこにおいでです……? 天国? 地獄? それともその狭間で彷徨っていらっしゃると……?」
 サービスの伸ばした白い指先を、雫がつたい落ちて行く。
 お前も、神など信じない男の癖に。存在など、物質の消滅と共に消え去るはずだと信じている科学者の癖に。
 高松……お前は、ルーザー兄さんの死によって、虚無を感じているはずなのに。
 らしくない。
 まだ、お前があの人について何かを問おうとするなんて。
 そう言えば、この男はいつの間に、青の一族をその研究対象にと据えたのだろ。…
 一体いつ? 一体、どうして?
 よぎる想いをそのままに、サービスは静かに答えた。
「……海、だよ……」
 自分の声も雨に濡れて沈んでいく。
「兄さんは、海に……還ったんだ……」



「成長なさるにつれて……グンマ様も時々その表現をなさるようになりました。青い海が、時々夢に現れると……怖いと……仰います……」
 高松の言葉に、痛みを感じる。眼を失った後も、自分の窪んだ眼溝に、その海は佇んでいる。決して逃れることはできない。
 あの海は……僕が死ぬのを、待っている。
 ジャンを失った時、僕は死ぬはずだったのに。
 それでも生きながらえてしまった醜い命を、あの海は、いつか飲み込もうと待っている。
「あなた方一族は、その意識下に沈む時、青い海を見るらしい。それはしばしば苦しみと陶酔を伴うという。非常に興味深いですよ。それは単なる心理学的比喩なのか、それとも何処かの風景の記憶であるのか……遺伝子に残る原風景、その生涯を支配し続ける原体験。眼に焼き付いて離れない、青の記憶。その異形の力の源であるのかもしれませんね」
 淡々とした高松の声。それは墓石に弾けて、いつしか消えた。雨音だけが二人の間を浸していく。
 サービスは目を瞑る。空洞の中に、あの風景が広がっていく。遠い青の記憶。
 僕はさだめからは逃げられない。
 僕の、僕らの……僕ら兄弟の原風景は。
 青い海の記憶と差し込む光の記憶。深い闇の記憶と、奪われた救いの記憶。
 僕らは、その場所から生まれ、その場所に還る。
 天国なんて。地獄なんて。
 決まった世界に行くことは、きっと叶わない。漂う。僕たちは、血に漂い続ける。過去と未来、世界と時間とを放浪する海の中で。
 ルーザー兄さんは、その海に還った。
 僕も何時かは同じ場所へと還る。繰り返し繰り返しの、流転の中へ。
 闇の中で、粘ついた泥と血に塗れながらも、壊れながらも、僕はいつかは還りたい。
 終りのない海へと、還りたい。



 そして僕は……お前と、もう永遠に会うことはないだろう。
 お前には、こうして訪れる墓すらない。
『サービス……ごめん』
 でも言葉を残すことができたお前は、ずるい。
 さよならさえ。
 僕は、お前に謝ることさえ、できなかった。






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